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Voice of brothers 445 感謝の心の有用性

★神性を生きるうえで考えるべきこと

神性を生きるうえで考えるべきことは、ふだん感謝の心をどのように使っているかということだよ。

たいがいの場合は、誰かに何かをしてもらっての「ありがとう」だったり、何かを頂いてからの「ありがとう」だったりするでしょ。

でもそれじゃあ未だ、人の一歩手前、半人半動物なんだな。

わかるかい?

「いいことがあったりよくされたりして、それで気分がよくなって感謝の想いを自然にいだく」くらいのことは、他の哺乳類にだって出来ることなんだよ。

人として生きるためには、『その上の段階にある感謝の意識』を使えるようにならなければいけない。

それは具体的にどういうことかというと、他人ひとに何かをして差しあげるときにも「ありがとうございます」と言ってして差しあげることだ。

たとえば、他人に親切にするときには、「ありがとうございます」と思いながらするんだ。

他人に何かを差しあげるとき、お金を支払うようなときなんかにも、「ありがとうございます」と言って渡せるようになってこそ、一人前の神性人類といえるんだよ。

ぼくたちが観ていると、たいていの場合、みんな出し惜しんでる。

それで重い腰を上げて他人に親切にして差しあげるまではいいんだけど、見返りを求めてみたり、お金や物を差し出すときにも、名残惜しい気持ちをこびりつかせながら差し出してる。

そういう人からの親切を受けたり、物やお金を頂いた人が聖者だった場合には、見返りを求める想いが洗われたり、名残惜しむ気持ちが浄められたりするんだけど、似通った想念波動を持った人が相手だった場合は、カルマの展開が勢いを増して、自分ばかりをかわいがり出し惜しむ、卑しい想いの波がPM2.5のように、世界の心空を汚してゆくんだよ。

★ 感謝の意識を全方位に向けて放射する意識の用い方

そういう心の公害をまき散らす加害者にならないためにも、感謝の意識を全方位に向けて放射する意識の用い方が有効なんだ。

何をするんでも、「ありがたいなあ」って思いながらするんだよ。

エ?

「ありがたくもないのにありがたいって思おうとするのは偽善じゃないか」って?

うん、そうだね、偽善だ。

だからこそ、練習が必要なんだ。

例えば、絵を描くんでも歌を歌うんでも、過去世で磨きに磨いた天性の素質が溢れ出した状態で生まれた一握りの人以外は、練習に次ぐ練習の末に一人前になってゆくものでしょ。

それと同じように、意識の用い方にも練習が必要なんだよ。

日常生活のなかで、ふだんから「ありがとう」って言葉をいつも使うんだ。

毎日毎日、日常茶飯事のなかでそうしていると、いつの間にか意識境界が高まっていって、ある時以降、ホントになんでもありがたく思えてる自分を見ることになるんだよ。

他人に対してだけじゃなく、他の生物に対しても、ありとあらゆる自然の存在に対しても、何に対しても「ありがとう」の言霊を投げかけて生きるんだよ。

そうすればきみは二元対立の渦巻きの外に出て、加害者でも被害者でもない太陽のような与えるばかり、恵みをもたらすばかりの人になる。

必ずね。

だからやってごらん。

今は半信半疑でも、絶対にそういう人になれるからね。

 

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