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(前回の続き)
★人類は宇宙心の分心・分身・分神
いいかい?
きみたちは宇宙のすべてを創造した宇宙心の分心であり、分身であり、分神でもあるんだよ。
本当は、それ以外の何者でもないんだよ。
なのに、「自分はただの肉体人間だ」って思い込みの土ん中に自分を埋めて、地中で暮らしてしてるのはどうして?
そこをこそ、よーく見つめることだ。
そしたら、単純な事実が思い浮かんでくるよ。
「なーんだ、記憶にしがみついてただけだったんだ」とか、
「常識を唯一の行動規範にしてたからだ」とか、
「固定観念が心に染み付いてたからだな」とか、
「記憶や常識なんかに起因した反応のパターンに流されていたからだ」とか、
「過去世から癖になっている想念習慣にジャミングされてたからだな」ってな具合にね。
思い浮かぶ言葉は人によって違うかも知れないけど、おおよそ今言ったような意味のことが思い出せた人は、その瞬間に『意識の空中ブランコ』を飛び移って、神域の世界の住人となり、地上の様の真実を、冷静沈着に俯瞰できるようになっている自意識を発見するだろう。
★因果律を知り超え果因律の境地へ入ろう
その意識の立ち位置から観て、初めてわかったこと、見えてきたことは何?
これは、神域の世界に入ったすべての人に共通することだけど、「世の中には一人の悪人も不必要な人もいなかった」という事実だよ。
なぜなのかわかるかい?
うんうん、そうだね。
すべての人が宇宙大生命の分身で、ただ、その本質がまだ眠ったままになってるだけだからだね。
だからこそ、ここは大切なとこだけど、だからこそ人が人を見るときに、自分自身はもちろんのこと、きみたちの周囲にいるはたの人も、まだ会ったことのない地上の誰かも、"すべての人が神性を内に含む神人類である"という見方が出来るようになるんだよ。
今こざかしいことをしてる人、悪いことをしてる人などを見て、ただその表面づらだけをとらまえて、「あいつはずる賢い奴だ」とか、「あんな悪人、一生牢屋から出てこなければいいのに」ってしか見えない(思えない)ようじゃ、その人はまだ、真理を知識でしか心身に修めていない人なんだよ。
厳しく聞こえるかも知れないけど、表面上の理不尽の奥に、どうしてそうなったかの因果律が横たわっている。
原因が結果となって現れる因果律を理解しないかぎり人類意識は、本当の神性を発揮し得ないんだよ。
そのさらに奥にこそ、宇宙心がすべての始まりにしてみせたような、結果を先に想い描いて、自分自身がその結果へ向けて動いてゆく果因律があるんだ。
そこに至って人は初めて、神人類としての本当の第一歩を踏み出し始めることが出来るんだよ。
そうだなぁ、さしずめ「想像は創造の母」ってところかな。
今までのありとあらゆる望まない運命だって、みんなみーんな、人間の想いがこしらえてきた贋作なんだよ。
何をどう見るかを超えて、どう観るかの視野で世界を俯瞰するんだよ。
そのためには、呼吸をかぎりなく深くして、日常生活を営むことだ。
そういう、肩肘の張らない何気ない精進こそが、きみをしてきみ自身を神域の世界の住人へと成長させるのだからね。(終わり)