スポンサーリンク

Voice of brothers 509 感情の純化(前編)

★感情の純化について

「人間という生物は、自分の感情想念を純化することに一生かけても惜しくはない生きものだ」とは、奥の世界ではよく言われていることだね。

それは、どんな人にもいえることなんだけど、特に意識が粘着質な人は、そのためにこそ一生を過ごしてもいいくらいのことなんだよ。

それで、そういう観点からすると、人間には大別して二種類の人がいる。

わかるかい?

意識がサラサラした人と、ネバネバした人だ。

ここでハッキリと断言出来ることは、意識がサラサラした人は、未来に悪因の種を蒔かない確率が高い。

逆に、意識がサラサラしてない人は、消えるために現れたカルマの現象化した運命を、また再び胸の奥にしまい込んでしまうから、その時点で新たな悪因の種を未来に蒔き散らかしてしまうんだ。

その場合には、土に植物の種を植えて養分を与えれば、いずれ時旬が来れば花が咲き実がなるように、自分の蒔いた運命の種が結実して現れ来る時が来るということだよ。

地球人類のここ何万年かの動きを俯瞰すれば多くの人が……って、いや「ほとんどすべてと言っても過言ではない人たちが、そうした苦悩の輪廻のなかで生きてきた」と言えるんだよ。

……。

もういいでしょ。

十分でしょ。

こすれ合いぶつかり合って、果ては罵り合い憎み合い、殺傷沙汰に至るような歴史をいつまで繰り返すつもりなの?

他に対してじゃあなくても、劣等感や自己否定、自己限定などの刃を、いつまで自分自身に突き付けたり、斬り付けたりしてる気なの?

えっ?

「誰も罵ってないし、憎んでもいない。まして、人殺しなんかするわけないじゃん」って?

★内なる宇宙が投影された他人

うん、確かにきみは、肉体上の言動行為としては、そういうことはしていない。

でも心のなかはどう?

他人を見てあれこれ思う、脳裏をよぎる想念状態として、そういうことはしてないと断言出来るかい?

冷静に考えてみようか。

例えば、道を歩いていて、すれ違う人が眉間に皺を寄せてブツブツ言いながら通り過ぎようが、楽しそうに鼻歌を歌いながらすれ違おうが、悪因縁がなければ、それはきみを犯す何ものでもないんだけど、実際には、あの人はどうだとかこうだとか思ってるでしょ。

急いでるときは別にしても、こちらがのんびり歩いてる時なんかには、他人の評価を無意識にしてるんじゃないかな。

それは、すべての人を光明性の存在と見なして、神性を認める見方をするならいいけれど、本質ではないカルマの波を掴んだときには、それは相手側の問題ではなくて、掴んだ側にもそれ相応の悪因が潜んでいたということなんだよ。

波動というのは、似通った響きだけが共鳴し合うものなんだ。

それなのにみんな、他人は悪くて、自分は悪くないと思ってる。

本当の真実をいうと、何かをクローズアップして思うときには、それは自分のなかにあるものを引き出して見ている、他人に映し出して観ているということなんだよ。(次回に続く)