(前回の続き)
★自分(内)が変われば周囲(外)が変わる
ここで理解を深めるために、もう一つ具体的な実例をあげると、旦那さんが自分の些細なミスに対して、いちいち重箱の隅をつつくようなお小言を言ってくるのに辟易としているご婦人がいるとするね。
そのような人がこの意識の用い方を活用すると、旦那さんに感じていた想いというのが、実は合わせ鏡的な出来事だったという事実に気が付くことができて、実は自分も旦那さんに対しておんなじ仕打ちをしていたと自覚できるようになるから、相手を変えようとすることに意識エネルギーを使わずに済み、意識の無駄遣いをせず有効活用することができるようになる、というわけなんだよ。
その代わりに、みずからの意識エネルギーを過去の想念習慣や言動行為を進化させることに使うように心がけてゆくと、別に旦那さんを変えようとしたわけでもないのに、ほどなくしてご主人のお小言がなくなってしまったなんて話もあるんだよ。
それはどういうことかというと、相手がホントに変わった部分も少しはあるけれど、この第一段階の変化における大きなポイントは、今までと同じことを言われているのにそれをその奥さんがお小言と捉えず、愛ゆえの助言と受け止められるほどに心が大きくなって、「嫌みを言われることがなくなってしまった」と思えるようになるんだよ。
どうしてそうなるかというと、自分の意識が進化すれば魂(意識波動圏)の直径が大きくなるから、小さなことにはビクともしなくなったりするし、そもそも自分のやってないことは鏡の世界である外面世界に映し出されることがなくなってしまうから、相手が変わってくるという現実面の実際的変化が生じることにもなってくるからだよ。
この場合に注意しなければならないことは、なんでも自分のせいにしてしまうような反省癖のある人は、えてして想いの向け方の角度を間違えがちで、それゆえに、自分をいじめる愚を犯してしまいがちだということだよ。
反省というのは、明らかにハッキリと「自分が悪かったんだ」ってわかる場合にはいいけれど、自分の心をどんなに冷静に観てもわかんない場合に「自分はなんてダメなんだろう」って心をへこましてしまうのは、実は"反省の誤用"以外の何ものでもないんだよ。
それは、人間生命が輪廻転生という生まれ変わり死に変わりを、何百回も何千回も繰り返していて、今自分がここにいるのは、その集大成としてみずから望んで産まれてきているという魂の真実を知らない場合にやりがちな間違いなんだ。
地球に住む人たち個々人の心の動きを観ていると、現世の運命が現世だけの想念言行の結果として現れたものならば、色々な物事の因果関係をハッキリと割り切れているのだけれど、真実はそうじゃないことのほうが多いから、「どうして自分がこんな目に合わなきゃなんないんだ」って思ってしまうような人間関係の不調和や運命の落とし穴のなかで、原因がわからないがための底なし沼的心境(苦悩)にあがいている人が多い。
そのような場合には、ハッキリとした原因など知らなくてもいいから、「ああ、自分の過去世のなんらかの悪行がこのような形に清算されることによって消えてゆくんだな。こうして現れたことによって消えてゆこうとしてるんだな」って、サバサバとその運命が通り過ぎるのを見つめているだけでいいんだよ。(次回に続く)