★自分の素晴らしさや尊さをまずは自分が認めよう
誰にでも言えることだけれど、自分の殻に閉じこもって、一次元や二次元に画いた理想にとどまっていてはいけないね。
ということは、三次元を生き切る覚悟を持つことだよ。
人というのは、玉石混交の三次元世界のなかで、こすれ合い、ぶつかり合いしながら、それでも調和して協力をし、最終的に物事を実現してゆく術を学ばなければ、四次元や五次元、それ以上の世界といった高次元世界を創り出して、そこへ意識進化してゆくことができないようにできてるんだよ。
それで、他人と関わることを苦手に思って、人類全体の素晴らしさや尊さを心から認められないでいる人は、それより前にそもそも、自分自身の素晴らしさや尊さを認められないでいる。
本当は他人をどうこう評価する前に、なによりもまず先に自分自身を省みることが大事なんだよ。
また、そういう人は、生きている充実感を謳歌するより以前に、生かされて生きてる実感を思い出さなければいけないね。
それが出来れば、生きてるだけで丸もうけといわれる状態になって、生かされて生きてることに感謝せずにいられなくなるんだよ。
★この世で肉体を持って何度でもやり直せる有り難さを実感しよう
自分の存在価値を認められないでいる人は、その一番の基本である命への感謝ができないでいるんだ。
生かされているということは、その人がこの世に必要な存在だからこそ、肉体に存続できているんだよ。
前にも話したと思うけど、その人の守護神が「この子は、これ以上肉体に居るよりも、あの世へ戻した方が魂の進化のために望ましい」と思われれば、さっきまで元気だった人が、ポックリとあっけなくあの世へ召されることもあるんだよ。
そういう人は、自分が今すぐにあの世へ戻されないで肉体に居つづけられる有り難さを、よーく想い観るといい。
あの世には、生まれて来たくても生まれて来ることができないで、天界の神々から肉体への転生を許可されるのを待ってる人がたくさんあるんだよ。
どうしてみんな肉体への転生を望んでいるかというと、意識進化しないままあの世にとどまっているよりは、肉体に生まれてきた方が、よほどカルマを浄めやすいからだよ。
肉体界は、時間の流れが緩慢だから、あの世みたく思ったことがすぐに現実化しないでいるから、思ったときとそれが現実化するまでの間に、やり直しがしやすいんだ。
例えば、誰かに対して「この野郎!」って思っても、この世ではすぐに手を出したりしないでしょ。
だけどあの世では、思った瞬間に手を出したり、場合によっては、すぐに相手を殺したりしてるんだよ。
この世はまだそこまでいってないけど、それも地球の霊化によって、徐々に速くなりつつある。
それでもまだあの世へ行くよりは、この世で魂を磨く方がよほど楽なんだよ。
人と関わることを恐れて自分の殻に閉じこもりがちな人なんかは、あの世の厳しさを思い出すことができれば、この世で何回もやり直せる有り難さが骨身に染みてわかるだろう。
そういう人は、他人がどうだとかこうだとか思う以前に、自分が自分の価値を認めていないことを知らなければならないよ。(次回に続く)