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(前回の続き)
★太陽の心 〜 生命探究のプロセスを経て到達すべき心境
人は真の幸福を探究してゆけば、一人の例外もなく、精神的な生き方を志向せざるを得ないことに気が付いてゆくんだよ。
そこに至ってみて初めて、「生命とはなんぞや」っていう、人生の命題に突き当たることになるんだ。
そこで生命の真実を忘れ果てた人々は初めて、意識進化の第一歩を踏み出し始めるんだな。
こうして言葉で説明したらまどろっこしく感じるかも知れないけど、そこに至るプロセスだって、あっという間、つかの間のことなんだよ。
めくるめく今その瞬間の、ダイナミックな展開のなかで、自分が何を思い、何を語り、どう振る舞うか。
なかでも、脳裏をよぎり去る想いの動向を丁寧に見つめて、神性意識で上書き保存してゆくことが何よりも大切だよ。
口をついて出る言葉も、振る舞い・行い・行動も、すべては無意識的に脳裏をよぎる想念によってもたらされてるものなのだからね。
ここで改めて、本当の真実を伝えるけど、真の人ってのは、けっして想念の塊などではないし、想念に左右されて右往左往するような頼りないもんでもないんだよ。
想念というのは、いのちの太陽の下を、現れては流れゆき、消え去ってく定めの雲のようなものでしょ。
そして、自分が自分だと感じている肉体意識は、その雲の下(地上)にある個我だ。
地上にある肉体個我は、風と雲の動きによってもたらされる寒暑乾湿に左右されて、気分が盛りあがったり盛り下がったりしているけれども、本当のいのちに根ざした神性意識というのは、どんな外的要因にさらされても、けっしてそれが原因でアゲサゲされることがないんだよ。
★いのちの奥処にあるきみたち自神の神性意識
ぼくたちはきみたちに、その心境の立ち位置に立って過ごせるようになってほしいって、いつも願ってるんだ。
それは雲の下にある意識でも雲の中にある意識でもなく、かといって中途半端な空中や宇宙空間に漂う意識でもなくって、地上と空からなる地球の天地をも遙かに見下ろした意識であり、地球の実親であるところの太陽から、いのちの子たちを見守っている意識のことだよ。
きみたちの肉体は地球の子であると同時に、太陽の子でもあるんだ。
それを生命の奥に展開して言えば、地球生命が守護霊意識なら、太陽生命は守護神意識だといえる。
守護霊意識も守護神意識も子であるきみたちの中にあって、意識進化を果たしてゆけばそこに統合していって、より大きな自分自身を思い出せるところの、"いのちの奥処にあるきみたち自神の神性意識そのもの"なんだよ。
太陽から地球を観れば、想念の暗雲たる雲の層がどんなに厚く地球を取り巻いていても、だから暗いでも明るいでもなく、幸も不幸も感じることがない。
ただ子である地球が、人類の発したカルマの波に覆われて、成長の過程で揉まれているのを見守っているだけだ。
想念の雲なんてのは、元々一過性の消え去りゆくもので、永遠にそこにとどまって、地上に生命太陽の光が到達するのを妨げるもんじゃないのはわかるでしょ。
そうした真実の有様が、想いが地上や雲ん中にとどまっていたがために、暗中模索の心境になってしまって、わからないでいただけなんだよ。(次回に続く)