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Voice of brothers 530 真理を身に修めるために(後編)

 前の同名記事

(前回の続き)

★自分が何者かを知るためのプロセス

何回も繰り返すけど、人が本当の真理をわかるようになるためには、自分が何者かを知らなければいけないよ。

「自分が今生きているのは、命がここ肉体にあるからだ。

じゃあ、この命……、私を動かす不思議な力はどこから来たんだろう?

私はどこから来て、この世界で何をして、どこへ帰るんだろう?

私はこの世で何をするために生まれてきたのか?

目的もなく偶発的に生まれるということがあるだろうか?

生前の記憶を持ったまま生まれてくる子供たちが増えているらしいけど、彼らは皆一様に、この世をよくするために、両親を選んで生まれてきてるらしいな。

じゃあ、私もなんらかの意図を持ってこの世に産まれてきたに違いない。

それが何かは、今はまだわからないけれど、必ずテーマを持って生まれてきてるんだ。

一生かけてでもそれを見つけよう。

そして老齢になれば死が近付いてくる。

私が私だと思っている意識は、命が肉体を抜け出せば身体には居ない。

その時私はどこにいるのだろう?……」

★自分をきれいに磨き上げるプロセス

そうした思索を面倒くさがるんじゃなく、丁寧にやるんだよ。

それがとりもなおさず、自分自身と向き合うことになるからね。

そうしていると今度は次の段階として、自分自身の性質を正直に見つめてゆくプロセスに入るんだよ。

「ああ、私はホントに怒りっぽい癖があるなあ」

「そうだな、俺は人に何かを言われるのが嫌でたまらなく、何か言われたら人に噛み付いてるなあ」

「おっ、僕ん中には、自分を許さないでいる心の狭い想いが横たわってるな。これが、他人を嫌う原因だったんだな」

「私はいつも、出来ない、無理だって、なんでも諦めてたけど、これが自己限定と言われてる想いの癖のことだったのかしら」

数え上げたら切りがないけど、そのように想いを正直に見つめてゆくと、想いが運命として現れる前に浮かび上がって、心身を離れ、いのちの光にいだかれながら消えてゆくんだよ。

そうして、自我、エゴ、個我などの狭小な想いの癖が薄まってゆくと、そのうちに心の奥から”いのちの光”そのものの本心が肉体意識に射し込んできて、やがては表面意識が光明一元の光意識に変貌してくんだ。

これはね、どんなに言葉を尽くした説明を聞くよりも、自分自身の心身を実験台にして、実践してみるのが一番いい。

なんの悪い作用も起こらないし、逆にいいことづくめなんだから、やらない手はないでしょ。

いろいろ思案して先に進めずにいるなら、体当たりでいのちに真向かってゆけばいい。

そうすれば、真理という真理がきみ自身の気付きとして、閃きとして、きみのなかから、次から次へと湧き上がってきて、すべての不安も悩みも疑問も、ありとあらゆる悶々とした感情想念も、薄まり消え去っていって、神性だけの意識を生きることが出来るのだからね。(終わり)