Voice of brothers 253 疲労感を超越して生きる方法(前編)

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★疲労感とは何か?

心身に生命エネルギーの代謝が滞ると、多くの人は疲れを覚えるね。

それでぼくたちから観ると、地球上に生きている多くの人たちが、その【疲れ】の実態を知りもしないで、「疲れたー、動けない。今日はもう何もしたくない」って思って、怠惰の渦巻きのなかに巻き込まれて、理性や知性を眠らせてしまっている人が思いのほか多いんだよ。

それで今日は、いのちそのものの神性意識と疲労感の違いを知るための話をしよう。

まずは疲労の実態だけど、これは肉体の疲労と想いの疲労に分けて見ることができるね。

これは言われてみれば、「そんなことは知っているよ」って誰もが言うことだけれど、案外その実態については知らない人が多い。

どういうことかというと、一つ目は、肉体の疲労と想いの疲労の区別が付かず、まぜこぜに思い見て、漠然と「疲れた」って思っている人が多いということ。

二つ目は、想いが疲労感を覚えた状態を以て、心(意識)が疲れたと勘違いしている人が多いということだよ。

この二つの勘違いした想いの用い方を改めさえすれば、人は誰でもいち早く疲労を癒すことができるんだよ。

それに、体の疲れも想いの疲れも心を疲弊させるもんじゃないことがわかって、疲労感と神性意識を切り分けて観ることができて、疲労を覚えながらも明瞭に神性から来る生命エネルギーを使いこなすことが可能になるんだ。

一番大事なことは、今言った二番目の『想いが疲労感を覚えているだけで、心は少しも疲れていない』という事実を知ることだよ。

それで、どうしてそんなことが起こるかってことだけど、勘のいいきみなら、もう気がついているね。

そうだよ、想いというのは肉体に張り付いた神性から離れた想念エネルギーで、生命の根源から直接発せられた神性エネルギーであるところの意識とは別ものだということだよ。

心というのは本来、不老不死な精神波動の総称で、肉体から離れてもあの世で永続的に持続する意識の別名なんだ。

だけど生命に関する真理を知らない人は、肉体こそが自分だと思い込んでいる。

それを、『神性から離れた肉体付随の想念』とぼくたちは呼んでいて、「生命根源から直接放射されている神性意識とは別ものである」というんだよ。(次回に続く)