Voice of brothers 254 疲労感を超越して生きる方法(後編)

スポンサーリンク

(前回の続き)

★疲労感を癒していのち生き生きとした意識を保つために

違う角度から説明すれば、ぼくたちがカルマとかエゴとか言うのは、生命の本質が神性であることを忘れ果てた想いのことだよ。

いのちの本当のあり方を思い出せないでいるその想いこそが、肉体と精神をまぜこぜに見ていて、顕在意識と肉体を同化する思い違いの発生源になってるんだ。

このことは、それがわかれば意識進化が急速に進行するくらい大切なことだから、心に深く染み込ませて理解してもらいたい。

次に、一番目の「肉体の疲労と想いの疲労の区別が付かず、まぜこぜに思い見て、漠然と「疲れた」って思っている人が多いということ」だけど、これは今の想いが疲れを覚えているだけで、心(意識)は病まず痛まず輝いているという真理が体得できれば、自然とハッキリ区別出来るようになるものだ。

いつも言うように、地球上の人間たちが「自分たちは何ものなのか」を思い出しさえすれば、すべての不調和な実感は薄れていって、やがてはそういう想いの使い方が出来ないようになってゆくんだよ。

それで疲労感の癒し方について個別の話をすると、酷使したことによって肉体が疲れたなら、布団に横になって眠ることだよ。

そのときには、飲食は極力控えてね。

なぜなら、生命エネルギーを心身の奥から供給するにあたっては、消化器系に余計な負担をかけない方が、より効率的に生命光の補給ができるからだよ。

それで、想いが疲れているときには、これはもう、いつも話している深い呼吸を持続することがいいね。

想いが疲労感を覚えるというのは、表面意識が神性から遠ざかっている状態だから、神域の波動圏に意識を入り込ませてしまうことが一番いいんだ。

そのように、想いの疲労と肉体の疲労の区別が付いている人は、今言った個別の対処をすればいいんだけど、そういう段階に意識が到達していない場合には、生命の本質を学び知って、想念の奥に展開されている事実を思い知る必要がある。

そうしてみて初めて、肉体に張り付いた想いが疲れたと思い込んでいただけで、生命意識そのものはまったく疲れてなんかいなかったという事実を知るに至るからね。

そのように、疲労感を癒していのち生き生きとした意識を保つには、幾つかの段階があるんだけど、今日の話でその大略がわかってもらえたら嬉しいな。

後のことは、きみたち自身のいのちの光が、各自に適切な気づきを与えて、いのち生き生きと生きられるように導いてくれるからね。(終わり)