(前回の続き)
★天地の橋渡し役のきみたちへ
全体が大調和に至るプロセスというのは、必ずしもすべての人にとって都合のいい状況ではないかも知れない。
ないかも知れないというよりは、むしろ人間智では計り知れないことがほとんどだといえる。
全体を導く大生命智、すなわち、すべての人類が内包する生命根源の叡智というのは、個人の自己都合を優先する肉体人間観の大地に心の足を置いてるかぎりはわからないものなんだよ。
勘違いのないように付け加えると、宇宙を運行するその叡智がわからないからダメだというものでもないし、発心を起こしたからとて、すぐにわかるようなものでもない。
それで、人類の根源的あり方を今はまだ思い出し切れていない場合には、自己の全想念をすべての人類の生命源である大生命に統一して、あとの結果(運命の成り行き)は大生命に委ねて、結果としてどのような運命が現れ来たとしても、全面的に受け入れるようって腹を決めるといいんだよ。
全体の話でいえば、きみたちから観れば戦争なんか起こらないほうがいいに決まってるでしょ。
ぼくたちも、これ以上たくさんの弟妹が傷つくのは観たくない。
けれども、肉体界の運命を主導するのはあくまで三界(肉体界・幽界・霊界)の人類が発する想念だから、大生命と生命根源の世界にある神霊がたが、人類が発する想念の行方の行方を観ながら導く方向性は、なんらかのカルマの大きな自壊作用を人類に体験させることが、致し方なくも地球界の進化にとって最善の道だと認められれば、そのようなプロセスを経て完成へ向かうこともあるかも知れないし、きみたちの平和への祈りがかなって、神界に在る世界が地上にストレートに映し出されて、平和裡のうちに事が運ばれることになるかも知れない。
だから、きみたちの持つべき心構えとしては、キリスト教の祈りのように、「み心のままになさしめたまえ」って大生命に委ね切って、すべての現実をよくなるプロセスとして受け入れ、前向きに生きてゆくことがいいんだよ。
話を最初に戻すと、個我の願い事というのは、地上世界では相対する願いを持つ人が必ずいるものなのだから、そのような我の想いに軸足を置いた祈りをするんじゃあなくって、完全調和を願う祈り言葉に溶け込んで、みずからの意識は生命の源に鎮魂してさえいれば、そこにおのずと魂振りの作用(神性活性化)が起こって、未だ人類全員の神性を認めない想いの持ち主の心にも一条の光が差し込んで、多くの人類が真実の調和、本当の平和を志向するように、自然と想いのあり方が変わってゆくんだよ。
祈りの発光と念力の発動を勘違いしている人がもしもいたなら、今日の話を何回も読んで、真の祈りを心身に修めて、地球平和を善導する天地の橋渡し役の一人として、不安恐怖に流されやすい人類ひとりひとりの心に、いのちの光をそっと灯してあげてほしい。
よろしくお願いします。
親愛なる同志へ感謝をこめて