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(前回の続き)
★思い通りの現実を生きている事実を認めるために
みずからの全体像を俯瞰して観た場合には、人は誰でも例外なく、自分が思った通りの自分になってるものなんだよ。
それがたとえ表面意識で望まない状態だとしてもね。
というのは、『自分の認識が自身の世界を創っている』からなんだ。
ここは大切なとこだから、よーく心に焼き付けて。
人は皆、自分が思った通りの自分を生きてるんだよ。
状況や物事を楽観的に捉えて前向きに取り組む人は不幸を感じる暇も無く、状況や物事を悲観的に捉えて後ろ向きな認識をする人は幸福を感じる暇も無い。
どういうことかというと、毎日おんなじリズムの生活を繰り返しているようでありながら、人生に刻一刻と起こり来る状況は一日として同じ日はないでしょ。
その一瞬一瞬にあって、起こった出来事や状況に対して何を想い(どう認識し)、何を語り、どう行動しているか。
それが、さっき「自分が思った通り」と表現した部分なんだ。
望まない現実が目の前にあるなら、それはみずからが望まないことを、過去の自分がいつかの時点に認識していた、もしくはそのうえで言動行為に表していたということなんだよ。
例えば、「この人はなんか信用できないな」と過去の何処かの時点で思わなければ、その人はきみにとって信用出来る人でありつづけるけど、思ってしまったが最後、きみが認識を改めないかぎり、その人はこれからもきみにとって信用できない人でありつづける。
それでたちが悪いのは、ほとんどの人が過去に自分の発した認識を覚えてないことだね。
今日までの肉体人間というのは、無意識的に想念を垂れ流して生きてきたものだから、歩きながらアリを踏みつぶしても気が付かないように、自分の発した認識に責任を持てないでいるんだ。
だから、不平不満や不足の想念なんてのが起こるんだよ。
★習慣性の認識を上書き保存する秘訣 (1)
人間生命の本質である神性を自覚したうえで、それがわかっていれば、なぜ今の自分がこうあるのかが手に取るようにわかるから、他に責任転嫁したり、自分の無力を嘆いて立ち尽くしたりしない。
過去に自分が何をどう認識してきたかが、きみの世界を形成しているんだし、誰に対してどんなジャッジを下して見てきたかが、きみの人間関係の根底にあるんだよ。
それで、過去に思ってしまったこと、語ってしまったこと、やってしまったことは、ゲームみたいにリセットできないんだから、いつまでも過去を後悔ばかりしてないで、今から以降の想念言動行為を神性に根ざしたものとして行い表せば、これから先の人生は神性認識による輝かしいものに変わってくんだよ。
瞬々刻々起こり来る出来事に際して、常に自信を持って「よしっ、大丈夫、じゃあこうしよう。必ずよくなる」って思って取り組む人は、仮に失敗したってそこで簡単に諦めるようなことはしないで、「だったら今度はこういうふうにアプローチを変えてやってみよう」って方向転換してまた前向きに進んでくでしょ。
でも、過去の記憶に毒された「どうせ無理(ダメ・出来ない)に決まってる」って認識を持ったまま事に当たろうとする人は、みずからが思った通り、無理・ダメ・出来ないといった結果を受け取っている。
そうありながらも「こんな結果は望んでなかった」って嘆いているのが、多くの現代人の姿なんだよ。
ネガティブな習慣性認識をほったらかしにしながらアセンションできる安易な方法なんては、世界中の何処を探し廻ったってありゃしない。
だから自分自身の意志で、あらゆる習慣性の認識を神性の言葉で上書き保存するんだ。
神性から発する言葉というのは"光"なんだよ。
いのちの光で認識(思い浮かぶ想念)を上書きすることで習慣性の想念を変えることこそが、ポジティブな想いを条件反射的に発する秘訣なんだ。
それが幸せになる最短の近道なんだよ。
今現在、幸せに暮らしてる人や成功者と呼ばれてる人々みたいに、人も羨むような生活をしてる人を見てみれば、ネガティブな意識境界に安住してる人なんか見当たらないでしょ。
どうしてかというと、望んだ現実を創り出せる人というのは、事に際して条件反射的にポジティブな反応が自然に出来るからなんだ。(次回に続く)