★カルマと縁遠くなるには自己顕示欲の実態を知ろう
人間の心に巣くう"カルマ"というのは、自己顕示欲が強い人との相性が抜群だね。
だから意識進化を志向するなら、自分の心のなかから、いかにカルマを薄めてゆくかを考えなければいけないよ。
それで今、自己顕示欲が強い人はカルマと仲良しだといったけれど、この自己顕示欲というのが、どういうものかについてもよくよく知る必要があるね。
「そんなの知ってるよ」ってみんな言うかもしれないけど、ぼくたちから言わせればまるでわかってない人がほとんどだ。
どういうことかというと、鼻につくような自我の強さや人を押しのけてでも前へ出ようとする目立ちたがり屋だけを指して、自己顕示欲が強いと言ってるわけではないということだよ。
情念や我慢、引っ込み思案な恥ずかしがる心に、一方的な怒りを内に溜める人、妬み嫉み、不信、疑念など、内にこもるようなネガティブな想い全般も、よくよく見つめると、エゴの強さから発する自己顕示欲なんだよ。
要は、生命の真実からはまったく外れているけれど、自分をねじれた形で表現したくてたまらないんだな。
そうした様相のすべてを指して、自己顕示の想いなんだよ。
これがわかったうえで、初めて次のステップへ歩を進めることができる。
大切なことは、カルマを移動させようだなんて画策して、いろいろ無駄な抵抗をしないことだよ。
★みずからを善導しよう
というのは、カルマを薄める最善の方法というのが、自分のなかのいのちの光をまっすぐに表して生きるよう務めることだからね。
よく言う、「短所をつつく暇があるなら長所を磨け」ってやつだよ。
カルマというのは、習慣性の想念に根ざした悪因の元で、人が命そのものの素直さと無邪気さを表して生きるのを妨げてる最大の要因でしょ。
そんなのに手を出して動かそうとする暇があるのなら、自分の持ってる長所を徹底的に磨いて、光り輝かせることだよ。
そうすると欠点や短所なんてのは、知らない内に薄れて、いつの間にか消え去ってしまうんだ。
それである日ある時、ふっと振り返ってみたときに、悪癖と思わしき想念習慣から抜け出した、生命光そのものの神聖なる意識で生きてる自分に気がつく時がくるってわけ。
人間というのは誰でも、無限の可能性を持ってるものなんだよ。
ただそれを遮る想いの習慣に負けて、だらだらとカルマを垂れ流しつづけてただけだったんだ。
きみがきみの生命の真実を神性のなかに見いだしたとき、きみの人生は急展開し始める。
それをするかしないかを決めるのはきみだ。
きみ以外の誰もきみを導くことができないからね。
そのことをよーくわかって、みずからを善導する人は、どんどん自己顕示したい想いが消え去っていって、やがては宇宙大に拡大した神我を自覚するだろう。