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Voice of brothers 305 認識力を鍛える話(後編)

 前の同名記事

 

(前回の続き)

★認識こそがすべての基

ここまでの話は理解できてるかな?

何が言いたいのかというと、きみの見ている他人や世界というのは、きみが認識した世界以外の何ものでもなく、それ以上でも以下でもないということだよ。

認識こそがすべてのもといなんだ。

たとえば人間に関して言えば、誰か一人の人に対する評価というのは、見る人が変わればまるで違って見えるようなことがあるでしょ。

たとえば、ある人はその人を「親切な良い人だ」と見てるのに、違うある人が見たら「ぶっきらぼうでとっつきにくい人だ」と見てるようなことがある。

世界の全体像に対して言うなら、「この世はなんて楽しく、生き甲斐に満ちた世界だろう」って、ニコニコ笑顔で認識してる人もいれば、「この世はなんと生きづらく、苦悩に満ちた世界であろうか」って、難しい顔して眉間にしわ寄せながら認識してる人もいる。

そのようにして人は、自分が認識したとおりの他人と接し、自分が認識したとおりの世界に生きて、客観的事実とはかけ離れた一方的観点からの認識でもって、「ああだ、こうだ、どうだ、そうだ」って、スッタモンダやってるんだよ。

それで、個々人の運命というのは、その当人の認識をベースにして創られているのだし、そうした一人一人の認識の集合平均を元にして、世界全体の運命が創られているんだよ。

それで始めに話した『意識を発する角度と次元』を変えるる場合には、意識が常住的に神域に入り込んだうえで行うのが一番いいね。

なぜなら、意識が途中の次元階層(霊界や幽界)にとどまってしまうと、物事の全貌把握が出来ないでしょ。

他人や世界の全体像を観るには、常に自分の心が神性意識の境界にいなければいけないんだ。

★認識力を鍛える方法

そのための方法は、毎度おなじみの深い呼吸で、呼吸さえいつもユッタリとしていれば、念力で無理矢理自分を変えようと努力しなくても、逆に、みずからの行動力の無さに諦めをいだかなくても、いつの間にか自然に、神域の波動圏に意識が常駐するようになるんだよ。

こればかりは、自分の心身を実験台にして、体感・感得してもらう以外にない。

どんなに言葉を費やしてみても、それは道を指し示す指でしかないから、実際に自分でやってみて、体験してもらうのが一番いいんだ。

指し示された指先を物欲しそうに指くわえして見ているだけじゃあ、いつまで経ってもその境地に至ることが出来ないでしょ。

だから結論的に言えば、認識力を鍛えて、善悪正邪を超越した世界からこの世の全貌を観るためには、いつもの呼吸をユックリさせる以外にないんだよ。

「ああでもない、こうでもない」って、考えを巡らしながら悶々と想念をいじくり廻しているようなことなんかは、そのことが認識力を鍛えてることだと本人が思っていたとしても、それは非生産的な”想念のお遊戯”でしかないといえるんだ。

大切なことは、自分自身を根本的に神性の存在として甦らせることだよ。

そのための方法もまた、深い呼吸を心身に修めることでね、それ以外のメソッドはすべて、どこかに無理があったり、他人と自分の摩擦を発生させて、肉体付随の想念習慣に自身を縛り付けることになりかねないからお勧めできない。

それで、深い呼吸で鎮魂した意識状態にあるときに、他人や世界の全貌を観るように努めるといいって言うんだよ。

この方法は、誰をも頼らず、自分自身の生命力だけでやり遂げることの出来る方法だから、余計な邪念にさえぎられることなく、誰にも何にも左右されることなく、マイペースで意識進化を推進することが出来るからね。

そうしているうちに、過去の自分の認識というのが、なんて一方的かつ断片的な、中途半端な認識だったかがわかるようになるんだよ。

そして次の段階に至ったとき、初めて、「嗚呼、すべての出来事も人間関係も、何ひとつ良し悪しはなく、全部がその時々における必然的な事象だったんだなあ」って、何ごと何ものにも把われない、中庸中心の観点からすべてを観ることが出来るようになるんだよ。

さあ、今日からやってごらん。

うまずたゆまず、諦めることなくやりつづければ、必ず神域の波動圏から地球を眺める宇宙意識に辿り着ける。

「おめでとう、ようやく思い出したね」って、先に伝えておくよ。

きみは元々その境地にいたのだからね。(終わり)