スポンサーリンク

Voice of brothers 316 在るべき利他の心について(前編)

★在るべき利他の心がわからない場合

今日は個人の心にまつわる、センシティブな問題に切り込んでみよう。

それは、『在るべき利他の心から外れた想いの動きを利他の心だと思い込んで想念言行しながら、自分が利他だと信ずるその想念言行によってストレスを感じている人があまりにも多い』という現状だよ。

これは言葉で説明するのがとても難しいデリケートなトピックで、きみの心の襞に触れざるを得ない内容を含んでいるから、読み進める場合には心の鍵を外した裸の心で読んでほしい。

じゃないと、エゴの抵抗で非常なる不愉快を感じて、表面意識を曇らせかねないからね。

いいかい?

よくない場合は他のページへ移ってね。

それじゃあ本題に入るけど、在るべき利他の心の状態がわからないばっかりに、自分の良さを押し殺してる人は案外多いんだよ。

そういうときの心の状態というのは、利他と見まごう自己抑圧の鉛の塊を心の足首に巻きつけて、自在に意識を扱えずにいるもんだから、ストレスという名の苦悩の霧が心の空から晴れることがなく、いつも悶々としてるんだ。

それは、心根が善なる人特有の落とし穴ともいえる境界なんだけど、そこに気付いて、その落とし穴にまらないように意識を運用すれば、肩肘張らない自然な気持ちで、利他の想念言行を行い表すことが出来るんだよ。

それでここからは、在るべき利他の心の状態がどういう状態なのかわからないで、利他心を行ずることにストレスを感じてる意識状態を具体的に観てゆこう。

例えば、そうだねぇ……、他人に気遣いしすぎることで、肝心要の自分の気持ちが見えなくなってしまう、というような場合があるでしょ。

どうしてそうなるかわかるかい?

★誰よりも先に自分を愛し、自分に愛されよう

それはね……、自分の正直な気持ちに蓋をして、自分が「こうありたい」「こうしたい」って思う気持ちを押し殺してしまってるからだよ。

そういうのは自分に嘘をついてる状態なんだ。

またそれは、自分をごまかしてる状態だともいえるね。

真理からいえば、人は本来、誰よりもまず先に自分自身を愛して慈しまなければいけないし、自分自身に愛され慈しまれるべき存在なんだよ。

にもかかわらず、二元対立観念の次元空間に心の軸足を置きながら自分よりも他の人の気持ちを大事にし過ぎると、心がいのちの本来性を外れて違和感が生まれ、それが苦悩に育って表面意識を占め、それが行き過ぎるとさらに、「自分ばかりが犠牲になっている(損してる)」って自己保存の気持ちになってしまったり、果ては、他人や環境のせいにして、責任転嫁の境界を生きるようになってしまうんだ。

大切なことは、他人がどうしたいか、何を思うかを慮るのではなく、自分がどうしたいか、何をしたいのかを基本にして、みずからの想念言行を選択実行することだ。

そのための基礎として、さっき言った「誰よりもまず先に自分自身を愛して慈しむ」という真理があるんだけど、この真理の運用がうまく出来ないで、苦悩の境界に嵌まってしまう人が多いんだね。(次回に続く)