前の同名記事
(前回の続き)
★自分自身との関係性を調和させよう
話がここまで来たなら、これまでに話してきたすべての点が線でつながって、線と線が組み合わさった立体像が観えてきたでしょ。
そうだよ。
みんな、自分をないがしろにしておきながら、表面上だけ他人を尊重しようとしたり、自分を守ろうとした結果として、心のバランスを崩してただけだったんだ。
意識の角度が的外れな方向に向けて発信されていたともいえるね。
それが心の不健康の根本原因だったんだよ。
夫源病と言い妻源病と言うも、親源病と言い子源病と言うも、みんながみんな、自分の率直な気持ちに蓋をして、「どうせ話したって相手は〇〇するに違いない」っていう勝手な思い込みで意思疎通をはかるプロセスを省いて次の行動に移ろうとした結果として、運命が瓦解している姿だったんだよ。
それで、思い通りにならない原因を廻りの誰かのせいにして、人間関係を悪化させてただけだったんだ。
それ以前に、自分と自分の関係性を悪化させてただけだったんだけどね。
心の世界というのは肉眼に見えないから、ついつい見逃しがちだけれど、自分の意志を大切にして、それを通すようにすることは、他人を慮って自分を殺すよりも大事なことなんだよ。
自分が相手に正直な意思表明をしたことで、相手が反対意見を述べて対立するようなら、お互いが歩み寄って手を打てる落としどころを見つけなきゃいけないけど、こちらの言い分が理に適ったことで、なおかつ感情の雲に乗らない理性的な接し方をするなら、相手も極めて自然にきみの言い分を受け入れて協力してくれるだろう。
それでもし心が離れるような関係性なら、そこでグズグズしてないで、そんな関係性はスパッと断ち切って、新天地で生き直すことさえも厭わない勇気こそが、みずからの権能を保ち、苦悩している自心を救い助ける原動力なんだよ。
自分の心の持ち方を変えることで相手が変わるなら、そんな強硬手段に訴える必要もないけれど、場合によっては、人間関係や生活環境を変えることで、ストレスが消滅することもあるからね。
★自分が変われば世界も変わる(自分が変わらなければ世界も変わらない)
だけど、ここは大事なとこだけど、廻りの人の自分への接し方というのは、自分が自分に対してしている自己との接し方を映し出したものだから、人間関係や生活環境を変えたところで、自分自身を根本から生命の本道に乗せなければ、嫌だと思う人や運命環境はまた目の前に現れて来るんだよ。
結局のとこ人間は、自分を変えることでしか世界を変えることが出来ないんだ。
そのことを逆にいえば、自分が変われば自分の住む世界が変わって、運命環境も面白いように調ってゆくといえる。
ってことは、意識をいのちの本質に還元して、神性の意識を生きることが出来れば、すべてが調和した現実を生きられるということだよ。
「誰かのせいで自分が不幸になってるんだ」なんて想いは、個我に張り付いた幻想だよ。
自分にかかわる人間関係も生活環境も、すべては過去世から今日までの間に、自分が発してきた想念言行が元になって展開している運命なんだよ。
それが他人の自分に対する接し方においてさえもね。
そのことを潔く俯瞰したうえでパッと反省して、その場ですぐに想い方や認識を神域の立ち位置に修正することができたなら、きみの五感に映じる世界は一瞬にして変貌するんだよ。
内が変われば外が変わるんだ。
それは、自分が変われば廻りの自分への認識が変わり、自分の周囲への認識が変わることでもある。
呼吸を深めながら内外の自分を俯瞰してごらん。
ほら、観えるでしょ。
なんでもかんでも他に責任転嫁する立ち位置で、みずからをかばう憶病風に吹かれて想いの洞穴に隠れてた日々の自分を、過ぎ去った昔日のこととして、微笑ましく振り返り見つめるきみ自身の姿が……。(終わり)