★望まぬ環境下での表面的な生き方
「本当は〇〇するのが在るべきあり方なのに、改革の声すら上げられず、受け入れてる自分は意気地なしだ」
こういう要旨のことを思いながら、旧態依然とした組織のあり方と理想の狭間で苦悶している人がいるね。
そういう立場にある人は、そんなにきつく自分を責めなくてもいいんだよ。
例えばの話、「自分がもしも上層部の悪事を告発したら、それがバレて左遷や解雇などの報復をされるかも知れない。そうなったら自分も家族も困るから黙っていよう」って考えちゃうのを、責めることのできる人なんていないでしょ。
それで、巨悪(もしくは小悪党)の牛耳る組織に身を置く運命にある人は、本当のことをいえば、
①自分が上層部の人たちと同じ性質を持っている
②過去世において逆の立場で人々を支配していた
このどちらかに属する人で、今生の人生が①の人なら、類は友を呼ぶといった波動の類似集結原理でそこにあるのだし、②の人なら、因縁因果の法則下にあって、過去世の悪因を祓い清める機会として、そこに置かれているといえる。
どちらにしても、「ここのあり方は何かがおかしいな」と思った時点で、選ぶべき未来の選択肢は、大きく分けて二通りになる。
一つは守るべきもののために我慢してそこに居つづけるか、もう一つは改革を志して慎重に仲間(力)を集めつつ、人数の力で組織力学の形勢を逆転させることだ。
地球の現象世界は多くがまだ、エゴの力のほうが真理を凌駕している世界だから、力がなければ何ごとも成すことができない。
それで、正しいことを思う人が隅に追いやられて、エゴを前面に押し出して生きる人のほうがお得な人生を歩める傾向にあるのでしょ。
でも、その一方で時代は変わりつつあり、今までは押し通せた悪事が通用しなくなり、徐々に暴かれつつある。
それでもまだ、ニュースの俎上に乗る真理から逸脱したあり方は氷山の一角ほどでしかないんだけどね。
今話したみたいなのは、あくまでも表面上のあり方に過ぎないんだけど、そこに集う人々の意識が表面世界のことしか感じられない意識レベルの人ばかりの場合には、良心に従って生きることをどんなに誰かに勧めたところで、その方向に合流する人は少ない。
なぜそうなるかというと、自己保存の動物的本能が邪魔をして、きみたちが語ることを真実だと認識したところで、その方向へ素直に生き方をシフトさせる勇気が湧いて来ないからだよ。
だから、よほど人並み外れた強い信念の持ち主以外は、組織改革を成就させることができなくて、長いものに黙ってまかれる生き方に落ち着いてしまうんだ。
でも、それらの生き方にとどまる人のことを誰が責められようか?
そういう人たちには、その人たちなりに学び知るべき気づきがあって、それらを履修するための必要欠くべからざる生活環境を生きてるんだよ。
それは、理想と現実の狭間で苦悩することを通して、心底から真理を欲する心を湧き立たせ歩いてく道なんだ。
また、千差万別な個々人のあり方というのは、各自のハイアーセルフがすべてをわかったうえで、みずからを磨き高め上げるために置いている境涯だともいえるんだよ。(次回に続く)