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Voice of brothers 328 子どもたちと接する大人たちのあり方

★いい子とは?

今日は、子どもたちに対して使う『いい子』の概念を次元上昇させると同時に、みずからの意識進化の呼び水になるような話をしよう。

人と人とが接する際に、そこに子どもがいたら、それが自分の子であるか否かにかかわらず、「ああ、いい子ねぇ、お利口さん……」みたいな褒め言葉で、子どもたちを褒めるような場面があるでしょ。

そういうとき、その言葉を発した大人が考える『いい子』ってのは、何を以て”いい子”だと思ってるのかをまずは知ることだよ。

たいていの場合は、『大人の言うことをよく聞く従順な子』や『大人にとって都合のよい態度を示す子』のイメージに一致する子を指して、『いい子』だと思ってるんじゃないかな。

ここで、よーく考えてみるんだ。

じゃあ、大人にとって都合の悪い行動をする子はいい子じゃないと思う?

例えば、電車のなかで大人しくしてられない子はどう?

「そんなの悪い子に決まってる」とでも決め付けるかい?

大人たちが考える『いい子』のイメージほど、子どもたちからすれば迷惑な決め付けはないんだよ。

彼らはいのちを伸び伸びと表現してるだけで、そこにはなんの悪意もない。

たとえ、お友だちをいじめている子がいたって、彼らは親や周囲の大人とか、テレビの中の登場人物がやってることを無邪気に真似してるに過ぎないんだよ。

具体的実例をあげるなら、旦那さんの陰口を子どもに吹き込む母親や、家庭を顧みずに外の付き合いに熱中する父親などだね。

そういう在るべき調和を外れた大人たちの言動に対する極めて自然な化学反応として、子どもたちが調和ならざる想念言行を現しているといっても過言ではないんだよ。

振り返って反省すべきは親のほう、世間の大人のほうであって、子どもたち自身じゃないんだ。

大人たち自身がみずから反省した後に、子どもたちに対して正直に反省の弁を述べて、そこで初めて「お友だちを困らせるのはやめましょう。私も〇〇をやめるから、一緒にやめましょう」っていえば、案外子どもたちは素直に理解して、わかってくれるものなんだよ。

もしも一回やってわかってもらえなかったら、みずからを省みる反省が足りないのだから、丁寧に自分を見つめ直して、再び三たび子どもと向き合うことだ。

それを世の親や周囲の大人たちは、自分たちのやってることは棚に上げといて、頭ごなしかつ一方的に、子どもたちを抑え付けて言うことを聞かそうとしてるんだね。

★子どもたちの幸せを願うなら

意識進化というのは、なんにも特別なことじゃないんだよ。

日常の些細な言動行為を省みた過去の反省の上に立って、自分の心身に神性の想念言行を改めて表すことから始めるといいんだよ。

子どもたちというのは、大人が思っている以上に、冷静に大人たちの発する波動を観ている。

たとえ産まれて間もない赤ちゃんだって、肉体を上手く扱えないから想いを伝えられないだけで、大人たちの想念言行を理解した上でジーッと観じて、廻りの人のやることを吸収してるんだよ。

だから大人たちは子どもたちを評価する前に、みずからの想念言行を真理に則って表さなければならない。

子どもたちに幸せになってもらいたいと願うなら、真理にもとる想念言行を子どもたちの前で発してはいけないんだよ。

体の健康も心の健全さも、すべては意識の運用によって成立するんだから、大人たちがまず率先して、在るべき神性の想念言行を表してみせれば、子どもたちはそれを当然認識として吸収して、彼ら自身の人生に活かすことが出来るんだ。

自己中心的な思考を元に生きてるような狭小な心の大人たちは、そのあり方を鏡に映すように子どもたちに見せられて、みずからのあり方を否が応にも振り返らざるを得ないように導かれることがあるでしょ。

ホントは、そんな導かれ方をハイアーセルフ方にさせることなく、自発的にみずからを正してゆければ、子どもたちにも悪影響を与えることなく、大人も子どももまっすぐに幸せな人生を歩めるのだから、自分のあり方をいつも振り返って、無意識的に誤り用いてきた何気ない想念言行のあり方を、神性の響きに合致させるようにしてゆくといいね。