★意識のバージョンアップをはかろう
自分の社会的地位の悪さと、それに基づくけっして豊かとはいえない暮らしぶりなどを掴んで、それを時代のせいにしてしまってはいけないね。
そう嘆きたい気持ちはわかるよ。
でも厳しいけれど、大臣諸侯やお役人さんや、勝ち組と言われてる一部の富裕者層の人々を羨んで、「彼らが富と権力を独占してるから自分たちは割を食ってるんだ」なんて思う人は、逆の立場になったとしても、そのうち身を持ち崩してしまって、また社会の底辺で野の草を食み、地べたを這いつくばるような生活に元戻りするだろう。
それは他の誰のせいでもなくて、自分自身が創り出す現実なんだよ。
それがわからないから、他(時代や他人)のせいにばかりして、肝心の自分自身に対する認識はいつまでも貶めた見方ばかりをして、意識をバージョンアップする努力を怠りつづけてたんだ。
今の自分がどうあるかは、時代や他人がどうあるかとはまったく関係ないんだよ。
過去の歴史を振り返ってみても、幸せになれる人というのは、どんなにひどい戦乱の時代でも幸せになっていたし、文明の利器が揃ってない大昔でも幸せに過ごす人はたくさんいた。
それがどういうことかわかるかい?
外的要因のすべてはなんら一切、自分の幸不幸を振り分ける因子たり得ないということだよ。
自分が自分をどう認識してきたかと、今どうなのかこそが大事なんだ。
そこを正直に見つめるんだ。
それこそが自分自身を貶め、低めに観て、あまつさえ他人をも悪く思う思考習慣の元凶になってたんだよ。
★すべてはよりよい方向へ進むプロセス
自分が自身を大した者ではないと観ている人が、大した人間になれないのはわかるでしょ。
そこで、どうして他人をも悪く思ってしまうのかという疑問を自分に投げかけるんだ。
そしたら答えが返ってくるでしょ。
自己認識を他人にも映し出して、自分を投影して見ていたからなんだって。
自己認識の明快良好な人は、他人のことも悪く思えないし、上下に見て差別することもしないんだよ。
逆に自己認識の低い人は、自分のことも他人のことも悪く見て、自分より幸福そうな人を見ては羨み、自分より不幸そうな人を見ては溜飲を下げたりするような、なんともあさましい意識の用い方をしてしまってたというわけなんだ。
もしもきみが自分自身の心の動きを見つめて、そういう傾向を見いだしたなら、ただちに生命の本質を探究することだ。
それは今までの話のなかでさんざん伝えてきたから、過去記事を紐解けば生命の真実や人間の本質などについては、必要充分にわかるだろう。
大切なことは、自分がホントは何者かを知ることだよ。
いや、知るだけじゃないな。
その神聖な認識を当然認識にまで育て上げるんだ。
それが出来さえすれば、そこを契機にして人類の本質をも神性と観て、誰もの在るべき姿が観えてくるんだよ。
そしたら、自分の不遇を嘆いてた今までの時間の使い方を、より有意義な、未来建設のための思考行動に使えて、意識レベルは上がり、生活環境も調ってきて、幸せな境涯へと自然に移行してゆくものなんだよ。
いいかい?
地球は今、一つの大きな山場に差しかかっている。
何が起こっても、慌てず、騒がず、狼狽えず、ドーンと構えて、不動の心で生きるんだ。
「すべては必ずよりよい方向へ進んでゆくプロセスなんだ」って、大確信の心で想ってね。
きみならそれが出来る。
きみにはそれが出来るんだよ。
なぜならきみは元々、地球世界を完成させるという人類共通の大目的を達成するために、綿密な計画の元に、今この時代のこの国を選んで生まれてきた尊い魂なのだからね。