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Voice of brothers 416 永遠の真ん中にある今を生きよう(前編)

過去も未来もすべてを輝かせる今を生きよう

地球に住んでる肉体性の人たちは通常ふつう、世の中の表面に現れた現象ばかりに意識が持ってかれてて、”自分たちが掴んで引っかかってる物事・事柄がそのように現れた元の原因”にまでは気が回らないでいる人が大半でしょ。

だから何ごとに対しても右往左往に右顧左眄したりなんかして、「あーでもない、こーでもない」って思いながら、利害得失の損得計算ばかりしてたり、喜怒哀楽のジェットコースターに自分を縛り付けて、カルマ想念をダダ漏れにしちゃってるようなことになってるんだけど、そうした地球人たちがこれから先、みんながみんな意識進化してゆくと、全員がそういう近視眼的な生き方を卒業して、”永遠の真ん中にある今”を、不動の心で生きられるようになるんだよ。

今日はこの”永遠の真ん中にある今”を生きる心境を思い出して、人類に先駆けて、過去も未来もすべてを輝かせる今を生きる基本認識について話そう。

まずは、”自分たちが掴んで引っかかってる物事・事柄”についてだけど、これは、人々の想念言動行為に現れた人為的な動きのことでもあるし、物理的な現象の動きやその変化の現れ万般に関することでもある。

神性意識と肉体我の間に隙間のある人間たちは、誰かが何かを言った、何かをしたといっては心を揺らし、楽しんだり悲しんだり、喜んだり怒ったりしているね。

また、政治がどうだとか経済がどうだとか、気象がどうだとか地震がどうだとか思っては、心をぶれさせて、安心したり不安に思ったり、欲得が満たされて満足したり損してヘコんだりリベンジの機会を伺ったりなんかもしてるでしょ。

そういう想いの動きはすべて、生命本来の神性意識とはまったく無関係な、魂が幼かった時代の一時的認識想念なんだよ。

それらはみんな、そのことごとくがいずれどっかの時点で、生命の光に照らされて、消え去りゆく定めにあるんだ。

その消え去りゆく想いの波を掴んで、実体のあるもんだと思ってるのが人間で、そういう在り方はホントは間の抜けた意識の用い方なんだよ。

だから、霊がそのままそこにとどまっているという意味の人(霊止)という言葉と同時に、人間という言葉かあるんだ。

間が抜けているというのは、見くびり侮る差別語なんかじゃあなくって、いのちの光と肉体意識の間に距離があって、本当のいのちを生きてないことをいうんだよ。

だから、単なる事実として生命と肉体に隙間があるなら、意識の使い方を改めることでその隙間を埋めればいいという、単純な話になってくるわけ。(次回に続く)