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Voice of brothers 415 相対性から総体性へ

★相対性の意識でいると

生命の真実を忘れ果てた人たちに、本当の真理を伝えるのは難しいね。

熱意を持てば相手が冷めたり、こちらが引けば相手は乗り出したりというふうに、ピタッと心が揃うことは滅多にないからね。

それに関してきみたちに知ってもらいたいことは、たとえお話しする相手が目の前にいる一人だったとしても、特定の個人に入れ込む(のめり込む)ことなく、全人類を相手にお話しするように伝えるといい、ということだよ。

そうするとどうなるかというと、お話を伝えるきみたち側の心が、特定の個人に対する執着が初めっからない心境になって、宇宙にあまねく普遍の真理を発光させることができるんだよ。

言ってみれば、それは無敵の心境だ。

きみたち自身はただ光っているだけで、その光を受け取った人がどう受け取ろうと、そのことに対する執着がまったくない想いのままでいられるからね。

実際問題として大切なことは、何がなんでも相手にわかってもらおうとか、理解させようだなんて、ゆめゆめ思わないことだよ。

それは、執心以外のなにものでもないからね。

自分が執着の心を手放せないでいるということは、こちらの心が相手と同じ相対性の世界にあるということで、そのような心境で真理を語るなんてのは、子どもが背伸びして大人の真似事してるのとおんなじことになるんだよ。

★総体性の意識でいれば

心はいつでも総体性、全体性のなかに置くのがいい。

というのは、神域のなかに心を鎮魂させているのがいいということで、自分がそうなっていれば、相手をどうこうしてやろうだなんて自我の想いは起こりようがないんだよ。

そのための方法は、いつもの呼吸をゆったりとさせていることで、それさえできれば何の苦労もなく、総体性の心でいられる。

今日の話をシッカリと心に根付かせて、周りの人と接してごらん。

そしたら、知らない間に周囲の人が立派になってゆく。

自分が自分がの個我が心を砕いて、「どうしてあげよう、こうしてあげよう」だなんて思う必要の無い状況に、自然と変わってゆくんだよ。

それが、無私の心が無敵であることの所以だよ。

自分がどうしようだなんて思わなくとも、自然に行ったことがおのずと大調和の方向へ自他をいざなうからね。

きみたちはもうすでに、存在してるだけで周囲を浄めるだけの力を持っている。

そのことを深く自覚して、みずからの言動行為を起きてる間中、神性にチューニングするんだよ。

そうしていれば、「自分がなんとかしなければ」だなんて力まなくても、いつの間にかすべてが必ずいいふうに運ばれてゆくからね。