(前回の続き)
★祈りと水の共通項
話は変わるけれど、きみが地上で祈る祈りの働きを例えてみれば、体内に働く水分と同様の役割を果たしているといえるんだよ。
細胞さんの声が聞ける人は、自分の体に聞いてみればわかるけれど、絶食をしても人間は生きてゆくことができるけれど、水分を体内にまったく取り込まなければ、魂は一ヶ月ともたずに肉体から離れてしまう。
不食とかいわれる生き方をしてる人も、なかには水だけは飲んでいる人もいるし、水さえも飲まない人だって、鼻や口、皮膚などから空気中の水分を補って生きているんだからね。
それで、体内における水分割合は、成人男女で約6割だといわれてるね。
ということは、体重が60㎏の人で36㎏、体重が45㎏の人で27㎏が水分になる。
それほどの量の水分が体内にあることを、普段から意識している人はほとんどいないけれど、すべての水分が体内から蒸発して、肉体を構成する要素の中から水分がまったくなくなってしまったと想像してみてごらん。
きみはそれでも生きていられるだろうか?
実は、心のなかもおんなじような原理になっていて、現代までの地球人は、そのほとんどが水分がほんの少ししかない、砂漠のような心で生きながらえているんだよ。
みんな、肉体に生まれてからしばらくの間、そうだね、幼少時代までは、いのちの潤いが十分に残っていて、干からびた心で生きている幼児はほとんどいない。
けれども、言葉を覚えて、肉体世界でのコミュニケーションができるようになると、大人たちの干からびた言動行為の影響を受けて、いつしか自己保身を身につけて、やがて子どもたちの心が干からびてゆくようになる。
国や地域にもよるけれど、10歳くらいで、その1割から5割くらいの子が大人に近いくらい干からびた心で生きていて(大人は9割以上)、学校や家庭で問題行動を起こしているようだね。
それは子どもが悪いわけじゃなくて、周囲の大人や大人がつくった社会の影響を受けて、心の乾燥が伝染している状態なんだよ。
そのような場合でも、親が祈りの心をもっていれば、周囲の子がどんなに干からびていても、その影響を受ける確率は少なくなる。
親が祈りの心を今まではもっていなかった場合でも、気がついたその時から、祈りによる心の水分補給をまず自分たちが行うことで、子どもたちの心の潤いが取り戻されてゆくんだよ。
なぜ祈りが体内に働く水分と同様の働きをしているかというと、人は飲食や呼吸によって、日々水分を補っているけれど、その水分は、常に古い水分は体内の汚れを洗浄した汚水として、具体的には尾篭な話になるけど、汗や糞尿として排出されて、その分新たに取り込んだ水分で補っているというサイクルが成立して、人体が新陳代謝され、維持されているのと、まったくおんなじ働きが心のなかでも起こっているからなんだ。
心を体だと思ってごらん。
人間の日々発する想念は、肉体にとっての古い細胞や、食事や呼吸(皮膚呼吸を含む)なんかをとおして、体内に取り込んだ毒素などの不要物だといえる。
それで、そうした不要なものを肉体が排泄や排出をして、新たな細胞が日々誕生して入れ替わってゆくように、祈りのある健全な想念状態の心は、毒素がたまりにくいから、明るく健やかな心で生きてゆきやすい。
逆に、「ああでもない、こうでもない」「誰が悪い、彼が悪い」っていつも何かに粘着して、想念波動を汚している人は、この心の新陳代謝が活発に果たされずに、心の水分、潤いが失われていって、やがてはいのちがほんのちょっぴりしか働けない心身になって、かろうじて人間の形をした生物になってゆくんだ。
「愛の心が大事だ」とか「感謝の心を失うな」とかの言葉を、道徳的な面から説いている言葉を見聞したことがあると思うけど、宇宙の真理は、そうした何気ない善行のなかに息づいて、みんなのいのちを支えているんだよ。
祈りっていったって、なんにも身構える必要なんかないからね。
要は、今言ったみたいな、人としての潤いのある想念言行ができるように、みずからを導き、自他に愛を施してゆくことが、祈りの心だといえるんだ。
それで、さらに心境が進んでくると、守護の神霊との一体化をとおして、いのちの本源にある愛を表現して生きてゆく段階に入るんだね。
愛を貫いて生きることがどんなに困難な時代だと思えたとしても、けっして心の水分をなくしてはいけないよ。
きみが心の水分を失わせずに、どんどんその潤いを祈りとして放出してさえいれば、無限なる供給の原理によって心の水分が無尽蔵に溢れ出てくるから、みずからは常に潤って、まずは自分が変わり、自分が変わることで周囲が変わり、やがてその潮流はもっと広い範囲に及んで、同じ波動の心たちと共鳴を起こして、その他大勢の人をも干からびた心にとどまることをバカバカしくさせて、潤いが潤いを呼ぶ好循環の段階に入ってゆくんだ。
そのときはもうすぐだよ。
だから、祈り心を響き出して、毎日をいのち輝かせて生きるんだよ。