(前回の続き)習慣性の想いからすれば、そういうときには何か他のせいにして、自分を正当化したいとこだと思うけど、結局のところは、他の誰のせいでもありゃしないんだよ。
苦しみというのは全部、自分がいのちの光を発揮し切れてないことによる生きづらさであって、その原因はみんな自分がこしらえたものなんだよ。
言葉を変えれば、自分が真理を表し切れないでいる状態であり、真理と肉体想念のズレから来ている心地悪さなんだよ。
このことがわかれば、どんだけ生きることが楽になるか計り知れないのに、多くの地球人は、自分の苦しみの原因を他に責任転嫁して、また誰かに依存して、現実を変えようとしてもがいている。
そんなふうに、あらゆる苦悩の原因を他のせいにしてばかりいないで、まったく正反対に、自分を高め磨きあげる材料として捉えてゆくと、その人の意識進化の度合いは、加速度的に速くなってゆくんだ。
なぜなら、真理と肉体の自分が真っ直ぐひとつにつながって、真理を表現するパイプがどんどん太くなってゆくからね。
そうなるためには、初めに話したとおり、初歩の初歩からシッカリと正しい道を歩むことだよ。
数字の読み書きもろくに出来ないのに、足し算引き算ができるわけないように、意識進化の道も、基本をおざなりにして応用編なんか使いこなせっこないのは、まったくもって明らかなことでしょ。
真理の大道(意識進化の道)を歩むのにも、基礎や基本がシッカリと身に付いていなかったら、応用的な真理の活用なんてできるはずもないんだよ。
だから、たまには自分の生き方が真理の大道に則っているかどうかを点検して、脇道にそれずに意識進化の道を体現してほしい。
肉体に張り付いた想いというのは、習慣性の波動だから、ついつい惰性に流されてしまって、脇道にそれてしまいがちだからね。
だけど、ぼくたちがこういう話をするのは、きみがそれを出来るだけの力があるから話すんであって、そうじゃなければ時を見て言わないで黙って見守ってるだけなんだよ。
だから自分を信じて、ますます自分を深めてね。(終わり)