意識進化を志向する日々に行き詰まりを感じる場合の原因
意識進化を志して、自分を変えよう、変えたい、変わりたいと思いながらも、全然変われないと思ったり、敷居の高さを感じたりすることはないかい?
そういう悩みというのは、意識リソースの使い方にどこか無理・無駄・無茶があるから生じているんだよ。
この場合の“意識リソース”というのは、表面意識でもあり、習慣性の想いでもあるんだけど、簡単にいえば、自分が自分だと思ってる自分のことね。
それが神性の側から観ると、意識進化しきっていない場合の意識は、その意識領域がとても狭いのね。
そんなだから少ない意識リソースのやりくりに追われて、思い通りに使うこともできないで、冒頭のようなネガティブな想いにさいなまれたりすることになる、というわけなんだ。
神性が開発されていない場合の表面意識というのを、角度を変えて表現すると、“消え去りゆく運命の限りある資源”ともいえるんだけど、その限りある資源をいっぺんに全部変えようと試みたり、一気に変えられると思ってチャレンジするもんだから、挫折感を感じたり、行き詰まりの諦めに想いが支配されたりしてるのね。
そういうことは現実問題として、無茶なことだし、無駄な抵抗だし、無理矢理すぎるから、潜在領域の自意識がストップをかけてきて、結果的には実を結ばないことが多い、ということなんだよ。
日常における意識リソースの使われ方
日常生活のなかでは、そうならないように慎重に時間をかけて、想念習慣に流されない意識状態でいようと思っても、そうもしてられないような瞬間的判断が必要なときがあるでしょ。
どっちかといえば、意識リソースの使われ方というのは、パッパッパッパッと判断しなきゃいけないような用途のほうが多いのだから、残り少ない意識リソースを神性発揮へ向けようとしても、焼け石に水のようなもので、たいした成果を得られないことのほうが多い結果になってしまいがちなんだ。
やがて神性の意識領域に表面意識の半分以上が入ると、色即是空・空即是色という言葉に表現されているように、あると思ってた世界が幻想で、ないと思ってた世界が真実の実在だったということがハッキリとわかってきて、有限の世界(現象界)の制約を受けなくなるから、肉体が自分だと信じ込んでいた時代の何百倍・何千倍にも意識領域が拡大して、それ以降は自由に想いを使いこなせるようになる(小型車に大型車のエンジンを積んだような状態になる)んだけど、そこへ至るまでは、今ある有限の意識リソースを効率よく使いこなさなければいけない、ということなんだよ。(次回に続く)