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Voice of brothers 112 真理の在処を本当に知れば誰でもアセンションできる(前編)

★真実の真理に巡り逢うために

これはご時世といえばそうなんだけれど、今の世の中を世界規模で観れば、真理と称する玉石混淆の言葉が溢れていたり、聖者なり救世主なりを名乗る人々が山ほど名乗りをあげているよね。

そこで迷える人民大衆のうち、真理を求めたり道を探す人々は、誰かの話を読んだり聞いたり、救いを求めて誰かの門を叩くんだけど、その人の話したり書いたりしている真理の内容がたとえ正しくても、当の本人の想念言行が正しくないことが往々にしてあるから、そのような場合には注意が肝要だよ。

どういうことかというと、その言葉を発する当人の想念言行と一致してない真理と称する言葉は、そもそも真理なんかではなく非真理だからだよ。

★本当の真理には生命が生き生きと輝いている

本当の真理というのは、いのちの光が通っているもので、それを語る当人の想念言動行為と、語られた真理との間に乖離がある場合には、発された言葉にいのちの光が働いていないから、真実を装った嘘っぱちだということになるんだよ。

わかるかなあ?

例えばわかりやすい話をすると、「自己都合を捨てて他人を愛することが何よりも大切なことなのですよ」というようなことを語る人がいるとする。

だけどその言葉を発している当人が、自己の保身を何よりも優先して、利他ならぬ利己の想いで動いている場合には、言ってることがいくら正しくても、その人の言葉にはなんの真実味も説得力もないよね。

これは、宗教団体の教祖なんかに多い境涯なんだ。

それで、今までにあった道徳とか、精神修養とか、宗教なんかが、もっともそうなことを言ってるのに、心底からの善なる心を育て得ず、実際に立派な心を養うことが出来ず、本当に人々の苦悩を解消し得えなかったのは、それを述べ伝える人々が実際問題として、真理として表された正しい行いを真実に実践しないまま、教育なり修行なり信仰なりを、人々に伝道していたところに原因があったということなんだね。

多くの大衆は、宇宙に共通する真理の本道を忘れ知らないでいるから、真理そのものと自分を直通させることなく、他人(ひと)って(頼って)救われようとか、道に乗ろうとする傾向がある。

だからこそ、干からびた真理もどき(言行不一致な言葉)を簡単に信じて、そこに突破口を求めてきた。

けれども、真理の実践なき“もっともらしい言葉”には、人々に内在する本来の神性をよみがえらせるだけの力が宿っていないから、ほとんどの人が二元対立の世界のなかを、上下左右にうごめいていただけにとどまっていたんだね。(次回に続く)