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Voice of brothers 172 神域の視座を身に修めるために (7)

(前回の続き)

★神域の視座とは無私の心に観える世界

地上の肉体にありながら神域の視座をもって世界を見渡すことができている人は、誰も彼もみんな、私心のない神意識を自己のものとして運用できている人だといえるね。

そのような人の想念言動行為がどのようなものかというと、口に表す前の想いは神性そのものの想念で、語り書き表す言葉は神性そのものの言葉で、行い表す行動・行為は神性そのものの行動・行為になっているんだよ。

肉体界の地平には、「人間は神様じゃないんだから、神性の想念言行なんかできるはずない。人間はみな自分勝手なエゴイストに決まってる」という、人類の真実を捉えていない人間観が、人種・民族・国家・老若男女等の別なく、広く蔓延して認識されている。

けれども、人間という存在の全貌を俯瞰して観てみれば、上下左右どんな角度から観ても、どう輪切りにして観ても、人間に内在するあらゆる次元波動の体(肉体・幽体・霊体・神体)を観ても、つまり、どこをどう観てみても、神性以外の何ものでもないのが、人間の本質であり、本性であり、真実なのだよ。

だけどこれまでの地球人類は、「人間は不完全な存在だ」という人間観を金科玉条の真理のように大切に守って手放さないで来たから、そうした人間の全貌を捉えて、その真実を自他に見いだすことが出来なかったんだ。

それでぼくたちは今回、【神域の視座】という観点のあることを提唱して、肉体視座に固着していつまでも悶々として思い悩み、ギスギス、ドンパチ、チャンチャンバラバラやっている肉体人間の狭窄的な視野角に風穴を開けて、次元の拡がりを伴って物事の真実を正しく見極めることのできる意識視野のあることをあらためて紹介した。

このことは、別に目新しい内容なんかじゃあなくって、このような本当の真理を語ったり書いたりする人は、この人(ブログ主)以外にも地球上にたくさんいるんだよ。

けれども、そうした人たちがすべての人類と縁があるわけじゃないから、逆にいえば、人は縁がない他人(ひと)とは繋がりを得ることがないから、本当の真理がずいぶん昔から伝えられていながらも、その真理につながる縁を得ることの出来ない人が大半だった。

そのことは、ぼくたちときみたちのつながりにおいてもおんなじことがいえる。

ぼくたちもすべての地球人と縁があるわけじゃあないし、きみたちは遠い昔、ぼくたちの星から地球に転生した人たちだからこそ、ぼくたちとの縁をこうして持つに至ったんだよ。(次回に続く)