(前回の続き)
★意識進化のベースになる観法
こうしてぼくたちがどんなにホントのきみに帰る方法を伝えても、肝心のきみが耳を塞いで目を閉じたままでいたなら、いつまで経ってもきみはそこから抜け出すことができない。
えっ?「逃げるのは卑怯だ、最後まで取り組むべきだ」って?
いったい何と取り組むの?
気が付けば醒める夢であるところの、幻想や幻覚を実在だと認めることの無意味さを噛みしめて味わってごらん。
きみは、それが愛ある行為だと思い込んでいるみたいだけど、きみが取り組もうとしていることは、ぼくたちに言わせればまったくナンセンスだ。
地球そのものが霊化しつつある今、きみの意識だけが過去の幻想を実在だと信じ込んでいる場合には、きみだけが霊化した世界に住む恩恵を受けられないことになるし、それは引いては世界の命運を暗黒化する原動力の側に立つことにもなるんだよ。
大切なことは、自分の想いのうちで何が個我想念(エゴ)で、何が神性意識なのかを見極められなければならないということだよ。
それは意識進化の道の"イロハのイ"でありながら、何処まで行ってもこれでもうゴールという最終到着点のない、自分磨きのベースになる観法なんだよ。
忘れてはいけないことは、『生命の根源にどれだけ自分の意識が近づいてゆけるかどうか』で、肉体に張り付いた表面の浅い想いを、その場しのぎで満足させたってなんの意味もないということだ。
これだけ言っても伝わらないなら、ためしに思うとおりにやってみるといいね。
そのようなことを思う場合には、「これ以上自分では、もうどうにもできない」という、本当の行き詰まりを体験することこそが、きみを真の意識進化の道にいざなうことになるからね。
何ごとも徹底的に突きつめてゆけば、そのやり方で目標を達成できるかできないかがハッキリとしてくる。
「陰極まれば陽となる」という言葉があるように、いさぎよい断念の先にこそ、ホントの光が見えてくるものなんだよ。
こういう言い方も出来るね。
終わりは始まりの始まりで、始まりは終わりの始まりだと。
人は始まりと終わりを繰り返しながら、無限の進歩向上の道を歩む生きものなんだよ。
本当の愛の心は、きみが思っているよりもよっぽど深く果てしなく広い。
宇宙をあらしめているきみの奥にある真の大愛は、今きみが遠回りをせずに意識進化できるように、最大限の援助の光を放射してくれている。
その光は、きみが気付こうと気付くまいと関係なく、なんの条件も設けずにきみを包み込んでいるんだよ。
伝えたいことが一杯あって話がまとまらなくなってきたから、今日はこれくらいにしておこう。
それで、最後に今回の話のおさらいをすると、神性意識というのは、きみがきみだと思い込んでいる個我想念の奥に初めから実在している。
だから、自分が自分だと思い込んでいた想いを手放すことができさえすれば、きみの意識進化はとどこおりなく進展するということだよ。
そのためには、酸化した想いをすべてをことごとく生命光に還元して、いのちの側の意識として世界を見つめることがいい。
それで次の話は、「内は外で、外は内だ」という、10年くらい前にきみに伝えた話を、2018年のきみの理解度にチューニングして話そうと思う。
その話こそが、今日の話をより深く理解するための助けになるようだからからね(終わり)