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(前回の続き)
★すべてに神性を見いだせる人になってほしい
だからいつも言うように、みずからの本質が神性であることを信じて、自己の内に内在する生命の本質を発揮して生きることがいいんだ。
自分を本当に神性の者だと認められた人は、自然に他の人の本質も神性だって認めることが出来るようになるからね。
自己の生命の根源にある神性領域の意識が表面の心に現れていれば、そこはすべての人の意識の奥と同じ処だから、自分の神性を当然認識出来るようになるし、それとまったくおんなじように、他の人の神性をも観ることが出来るようになるんだよ。
だから、他人が心んなか(浅いカルマの想い)で何を考えているかなんて、わかったってわからなくったっていいんだ。
『すべての本質に神性を認める』という根源的なものの見方が出来さえすればいいのだからね。
相手のカルマのうごめきがわかったって、その奥の神性が観えてなければ意味ないでしょ。
そういうことを望む人は、意識が二元対立の世界に張り付いていて、自分の感情にそぐわないものに対してすぐに想いを乱してしまう意識レベルにあるから、無自覚的に不調和想念の発信源になって、気づかずに地球の平和を乱す片棒を担いでいるんだよ。
それでそういう人は、『エゴやカルマの動きに興味を持つというその想いの動きこそが、自分の心がその意識レベル(カルマの波動圏)にとどまっていることをはからずも証明している』といえるんだ。
いのちの奥にある神性が表面化して来さえすれば、どんな種類のカルマもエゴも消えてゆくんだよ。
太陽が東の空から昇ってくれば、真夜中状態だった闇の世界に光が射して、辺り一面が明るくなってきて、ちょっと前まで空間を支配していた闇が跡形もなく消え去るでしょ。
それと同じように、みんなが自分の心をいのちの光で照り輝かせて、その光を想念言行に現して、きみ自身が暗闇の世界を明るくする太陽になればいいんだよ。
そのためにはまず始めに、自分を動かす命が何ものかを知ることだ。
そのうえで、自分がいかなる存在かを知るように意識を鎮魂するんだ。
そのための方法が、いつも話している『常時の呼吸を深くすること』だよ。
一日のなかでちょっとくらい特別な呼吸法をしたところで、その他の九十数%の時間に浅い呼吸をしてるのなら、そんな呼吸法はなんの役にも立たない。
ハッキリと言い切れば、そんなのただの気休めや自己満足にしか過ぎない。
普段の呼吸が浅いということは、その人が用いることができる意識レベルが浅いからね。
どうしてそうなのかを具体的に説明すると、肉体脳髄にこびり付いた記憶と、潜在意識領域のうちの一番肉体界よりの波動圏にしかアクセス出来ないでいるから、意識レベルが浅いといえるんだよ。(次回に続く)