Voice of brothers 90 心奥の天に意識を置いて生きるために

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ジャッジしない心境で生きよう

地球平和が完全に地に成るその日までは、『自己の生命権能を他に明け渡しているかぎりは』という但し書き付きだけども、気持ちを曇らせてしまうことような出来事が多いだろうし、そういう不調和な出来事に触れて「駄目なんじゃないか」って想いが脳裏をよぎることがあるかも知れない。

だけども、意識進化を心から望んで真理の道を歩んでいるきみは、自身がどんな出来事に遭遇しても、どんなニュースが目耳に飛び込んでも、家族や友人・知人がたとえどんな言動行為をしていても、何を見聞してさえも、いかなる種類の黒雲をも心に湧き立たせないように生きようね。

きみの心に輝く太陽を覆い隠すものはなんら一切存在しない。

きみ自身の発した想いの雲以外にはね。

そうした想いの雲でいのちの光を遮らないためにも、きみはその持ち前の柔和さですべてを包み込んで慈しむんだよ。

それで有りのままに流転する地上の展開を、ただ在るがままの立ち位置から見つめているだけでいい。

そのためには、努めて口角を上げ、眉を伸ばしていることが有効だね。

意識が神性から外れているときや、無意識的に生きているときなんかには、ついつい口角が下がって、眉間に皺を寄せてしまってるからだよ。

哀しくても、腹が立っても、嘆きたくなっても、諦めたくなっても、そのほかにもたとえどんな想いがムラムラと湧き上がってきたとしても、なんら一切のジャッジをも下さずに、下してしまったとしてもすぐに手放して、いかなる種類の想いをも執着してつかまないことだよ。

それが何よりも自己を意識進化させて、アセンションした境涯に生きる秘訣なんだよ。

天の心を生きるか?地の心を生きるか?

それで、そんな消えてゆく側面ばかり追い回さないで、明るい側面に意識の焦点を合わせて、それを努めて見いだすことも大切だよ。

今までも悪いことばかりじゃなかったし、これから地球上に起こり来る出来事のなかには、過去に類を見ないほどに明るいこと、楽しいこと、喜ばしいことなんかも、たくさんたくさんあるんだからね。

要は、天の心を生きるか?地の心を生きるか?、天を見るか?地を見るか?、どこに意識の焦点を合わせて見るかなんだ。

何を見、何を聞き、何に触れ、何を嗅ぎ取り、何を味わうのかという、五感に感知するものがどんなものならいいのかを、よくよく吟味して稼働させるんだよ。

それプラス、何を直感し、何を直覚してという、第六感、第七感をもフル稼働させれば言うことなしだね。

空を見上げて歩道を歩けば、陽気が燦々と降り注いでいるよね。

気づいてる人は少ないかも知れないけど、それは曇りや雨の日でも変わらずに降り注いでるんだよ。

目を移して、草花や虫、動物なんかの命に焦点を合わしてでていれば、せき止めていた愛が溢れ出してくるのが実感できるでしょ。

今自分がどこにいても、そこで天地の深愛に想いを馳せ、意識を広く深く溶かしめてみれば、尽きない大生命への感謝がフツフツとにじみ出してもくるでしょ。

その逆に、地べたばかり見て歩いてたら、下水溝のよどんだ汚水が見えたり、捨てられたゴミや酔っ払いの嘔吐物が目に入ったり、人間たちの感情想念が擦れ合いぶつかり合ったりしてる様が目耳に飛び込んでくるよね。

無意識的に生きていたときにはそのように、心が心奥の天上に届かないから、ついつい地にある汚れたもののほうに想いが引っ張られて、そこに意識の焦点を合わせてしまって、心に暗雲を発生させることで霊光心の太陽の輝きを遮ってしまってたんだよ。

そういうふうに清濁混淆こんこうした進化の途上世界のなかで、きみは何を見ながら、何を感じながら、生きていられたらいいと思う?

そこんところをよーく考えて、意識の使い方を改めて振り返ってみようね。