★生命の真実と人生の意味を知り生きる大切さ
きみは子どもの頃、「なんで自分は生まれてきたんだろうな?なんで人は生まれてくるのかな?」って、わかんないながらも一人で思索していたでしょ。
まぁ反抗期の頃には、「なんで産んでくれたんだ」なんて暴言を吐いて親を悲しませたりもしてたけど、やがてまた心が落ち着いたら精神的な思索の世界に戻ったね。
そうした人生に対する哲学的な思索……、「なぜ人は生まれてくるのか」「人はなんのために生まれてきたのか」といった命題は、今の地球世界では、親も廻りの大人も教えてくれず、学校でも習わないことだね。
この問いへの答えは、斯くして先人たちも明確な答えを持たずに生きている人が多い事柄でありながら、人が真っ当な人として大人になり、人世の道理を明哲に解して、迷いのない人生を生きてゆくためには、必要不可欠な道しるべなんだよ。
人がその素朴な疑問の答え(道しるべ)を導き出さないままに大人になるとどうなると思う?
その通り。
答えは、廻りの大人たちを広く見渡せば一目瞭然だね。
現在の地球世界では、多くの場合、誰かに養われてる人以外は働かなければ生きてけないから、何がしかの職業に就いてはいるけれど、その職業人としての自己実現に関する努力精進を外して観たら、動物的な本能を主体にして生きている人がほとんどなんだよ。
地球全体を見渡してみると、極々一部の精神的な生き方を志向する人たちだけが、神仏の心を己が心に映し出そうとして生きてるんだけど、他のほとんどの人たちに至っては、実際問題、動物に毛が生えた程度の生き方しかしていないんだよ。
だからこれまでの世の中では、多くの場合に職業を通してしか自己研鑽をする場面がなかった。
仕事を離れた場面での人格磨きには、興味のない人がほとんどだったからね。
その仕事の場面にあってさえ、一部の人たちにおいては、いかに楽をしてやり過ごすか、どうしたら自分の欲望を果たすことが出来るかに主眼を置いて生きてる人たちもいるんだけどね。
きみたちのように私心を"いのちの光"のなかに投げ出して、意識進化を志向して生きている人たちというのは、四六時中みずからを磨き高めあげる不断の努力をなしつつ、すべての人類が神性をよみがえらせることを祈りながら、天地万物へも絶え間なき感謝を捧げて生きているけれど、実はそういう人というのは、世界中を探してみても極々少数の希少種なんだよ。
きみたち自身がその当事者だから、自分たちが今は未だ少ない希少種である実感が湧かないかも知れないけどね。(次回に続く)