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Voice of brothers 365 心の自傷癖を卒業するために(前編)

★運命を創造する心の力の誤用

人類一人一人の心の状態を定点観測をするときに(個々人の心の子細をクローズアップしてつぶさに調査する定期的な定点観測時に)、いつも思うことがあるんだ。

「相手が悪気なく発した一言一句に反応した”自身の想い”で自分の心を傷つけて、随分と長い間、意識を曇らせ、光の無い人生を過ごしてる人のなんと多いことだろうか」ってね。

ここで大切な一番のポイントは、『相手の発する想念言動行為で傷ついた』のではなく、『それを受けて発したみずからの想いで自分の心を自傷・自害してる』とこなんだ。

随分と長い間ってのも、数時間や数日、数週間で済むケースもあるけど、ひどいのになると数年、もっと引きずってるのになると数十年、一生、さらには死んだ先の世界までもの長きにわたって、恨みがましく心のなかで相手を責め立てつづけ、自分をかばい憐憫して、怨恨のカルマを抜き差しならないほど闇深いものにしてる人もいるんだよ。

それは人間の本質である神性を逸脱した想念雪の塊を、坂道で雪玉を転がして大きくするように育てて、坂を下り切ったとこで巨大な雪ダルマに仕立て上げて、それでもまだ飽き足らず、雪ダルマの表面に心の氷雪を塗りたくって、その雪ダルマをさらに巨大化させて、永遠に大きくするような空虚な遊びにこうじてる状態なんだ。

そんな人たちを観ていると、芸術作品を創作してるんならいざ知らず、そんな生産性のないことに大切な時間を割いていてどうするのだろう?って歯がゆくなるね。

「イヤだな、あの人」って思った相手のことを、まるでその人に恋でもしてるかのように、四六時中その人のことを想い画いては被害妄想を肥大化する行為には、なんの創造性も生産性も建設性もありゃしないでしょ。

だけどそういう人は、自分のやりたいことを心ゆくまでやらなきゃ気が済まない性分を持ってるし、「自分のやってきたことは間違ってたんだ。なんて自分に対して非道いことをしてたんだろう」って、心の底から後悔して、それを反省に昇華して、さらに前向きな意識に立ち戻り、生命が持つ本来の創造性を活かす想念言行を実践し始めるまでは、何度でも何度でも苦汁を味わって、「もうこんな不味いのイヤ」って過去の習慣性の想念癖をかなぐり捨てて、生命の本質(神性)へ意識を還元するときが来るまでは、同じ過ちをこれでもかって繰り返すようにできてるんだ。

人の心というのは、掴んだ(認識した)ものを現実化する力があるんだよ。

だから、「何ごとにも把われてはいけないよ」って言うんだ。

良きにつけ悪しきにつけ、人は誰かに対して何かを思い、何かに対してレッテルを貼ってるね。

その行為の繰り返しが、自分の心象世界に現実の原形を創って、本当はナイことでさえ、アルと思った人にはアルことになってしまうんだよ。

想いが現実を創るんだ。

何をどう捉え、認識するかが、今この瞬間以降の運命を左右してるんだよ。

だから、「意地悪なことする人、悪い人、非道いことする人、嫌いな人」というような認識を誰かに対して付与することで、ホントは意地悪なことしてない人でも、悪い人じゃない人でも、非道いことされたわけでもない人でも、最初は嫌ってなかった人でさえも、自分の発したネガティブな認識が創造の力となって、意地悪なことした人を創り、悪い人をこしらえ、非道いことされたという被害妄想を肥大化させ、嫌いな人を増産してゆく仕組みになってるんだよ。

それで、そうした精神境涯を卒業して意識進化するためには、「意地悪なことする人、悪い人、非道いことする人、嫌いな人」という認識は自分が勝手にそう思っていただけで、”相手には悪意なんて、はなからなかった”という事実に気が付くことが、初めの一歩になるんだ。

やり始めはエゴが疼き抵抗しまくって、なかなか認めがたいかも知れないけどね。(次回に続く)

 

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