Voice of brothers 166 神域の視座を身に修めるために (1)

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★神性意識は誰もの中に太初はじめからある

ホントの神性意識に立って観れば、対立を超えた視座で世界を見渡すことができるようになるよ。

自分の体験に照らしてこの言葉が腑に落ちた人は、もうすでに神性意識を心身に修めているといえる。

逆に腑に落ちない人も、だからといってガッカリしなくていいんだよ。

今日の話を読んで実行すれば、神性意識のイロハは誰でも身に付く(思い出せる)からね。

仮に一回でわからなくても、何回もこの話を読んでは瞑想統一を繰り返してゆくうちに、意識進化を志向する人なら誰でも、必ず自覚的に理解出来る時が来る。

なぜならこの話は、きみたちの心奥にある神域の響きそのものの話だからね。

さあ、ここからが本題だよ。

いいかい?

「人の心に分離した認識があるうちは、世界が調和することはないし、対立観念が人類の意識にこびり付いているうちは、現象世界に平和が訪れることはない」

まずは、この言葉の意味をよく咀嚼そしゃくして噛みしめてみよう。

人類というのは本来、誰もが神聖をうちに宿した存在で、地球の人たちも本来は地球神類と呼ぶべき存在なんだけども、その本来性を忘れ果ててしまったために、苦悩の絶えない社会を造り出してしまったんだね。

少し説明すると、本来性である神性を忘れてしまった原因は、物質界という宇宙最果ての次元世界(波動がこれ以上ないほど粗い波動圏)を開拓するために、肉体という不自由な衣をまとって活動し始めたことにあったんだよ。

いつも言うけど、人間の身体というのは、肉体を脱ぐと幽体があり、幽体を脱ぐと霊体があって、霊体も脱ぐと神体が表面化してくる。

それで、その神体をも脱ぐと、生命光意識という本心本体があるのだよ。

それは、姿形なき宇宙大に拡大した意識ともいえるもので、そのように極大の意識でもあり、すべての存在を細かく細分化して観てゆけば、極微の微粒子波動そのものでもある。

そのように、宇宙に遍満する極小の波動そのものでありながら、大宇宙をスッポリと包み込み、森羅万象を存在させている極大の意識でもあるのが、神類の本質である神性の神髄であり、究極の本心・本体なんだよ。(次回に続く)