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Voice of brothers 545 意識の面から観た正しいお見舞いの在り方

お見舞いの功罪

お見舞いというのがあるでしょ。

誰か近しい人が入院したら病院へ行くよね。

そんなときに、大概の人は心配しながらお見舞いしている。

だけどそんなお見舞いなら、本当はしないほうがいいんだよ。

「心配するのは当たり前じゃないか。何をおかしな事言ってるんだ?」って思うかも知れないけど、ぼくたちが何を言いたいかわかってもらえるかな?

心配をして、心配の想いを抱いたまま、心配な気持ちで入院してる人に会うことは、『心配』というありがたくない”おみやげ”を病室に残してゆくことになるからだよ。

想いというのは目に見えないから、「自分が何を思おうがそんなの関係ない」って思うかも知れないけど、想いというのは目に見えないだけで、れっきとした形のあるエネルギーなんだよ。

意識進化を志向するきみたちには、是非ともそういう配慮を持って行動してもらいたい。

お見舞いされる側にとって、ありがたいことはなんなのか、自分の意識をどのような状態にしてお見舞いするのがいいのか、アセンションしたお見舞いの在り方を考えてみて欲しい。

アセンションしたお見舞いの在り方

本当になすべきお見舞いというのは、『元気』を届けるお見舞いだよ。

それはけっして、『心配』を置き土産にするようなことじゃない。

入院してる人を勇気づけるような、元気がモリモリ湧いてくるような、そういう明るい”いのちそのものの光”をお届けするんだ。

そういうお見舞いのほうが、よっぽど意味あるお見舞いになるんだよ。

誰かが入院したら、心配をする気持ちは当たり前の感情の動きだ。

だけど、アセンションした人の意識というのは、そこにとどまることがないんだよ。

そういうとこにとどまらずに、自分自身が元気の塊になって、太陽が地上を分け隔て無く照らすように、愛の光そのものになって、想い、語り、行動するんだ。

そうすると入院してるその人の病室には、元気の気が充ち満ちて、お見舞いした人が帰った後も、元気というおみやげが残るわけ。

そういうのを、本当のお見舞いというんだよ。

あんまりいつも起こりうる事じゃないかも知れないけど、このことは覚えておくといいね。

日常生活のなかにも、必ず応用出来るエッセンスに満ちた話だからね。