Voice of brothers 61 潜在意識とその浄め(2)

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(前回の続き)

★袖ふれあうも多生の縁

ところで、なんで表面意識にない狂気が潜在意識に潜んでいて、それが時に凶行として現象化したり、病気になりたくもないのに大病したり、思いもかけず交通事故の当事者になったり、望みもしない不運な目にあったりすることが起こるのかというと、人間は誰でも……、それは魂年齢にもよるんだけど、魂が若い人で数生から数十生、古い人で数百生、数千生の生れ変わりを体験していて、そのなかの一部の人生において、他者への恨みや憎しみ、行き過ぎた正義感などが積もり積もった末に、人をおとしめたり裏切ったり殺傷したり、逆に人におとしめられたり裏切られたり殺傷された記憶などが潜在意識に潜んでいて、それらが晴れないで永年にわたって蓄積されていることがあるからなんだよ。

殺傷というのは、何も肉体上のことばかりじゃなくって、精神的な殺傷行為というのもあってね、人は物理的凶行に及ばなくても、想いや言葉で長年月のトラウマを相手に与えたり、無気力化させたりするようなこともあるんだよ。

それのたちが悪いところは、その想念言動を発した当人は悪いことをしたという自覚がないことで、その想いや言葉を浴びせられた側だけが苦悩してしまうとこなんだ。

そういういろいろな過去世からの因縁が、時と場と人の縁が一致した場合に、加害者となり被害者となって、事件や事故のような形で衝突して因果化して、消えてゆこうとしたり、自損事故や運命を自滅させるような姿で表れているんだね。

『袖ふれあうも多生の縁』というのはホントのことで、通りで人生に一度だけすれ違うような人も、たまたま電車で乗り合わせるような人も、みんな過去世のどこかで出会ったことのある人ばかりなんだよ。

ましてや家族においておやって話でね、血縁のつながりを霊的に観ると、過去の人生で親兄弟だったってケースは数えきれないくらいある。

そうしたつながりのなかで、善縁・良縁の対極にある逆縁のつながりで生まれてきた場合には、夫婦でも親子でも、またそれより離れた他人との縁でも、その縁が時と場を得ることで、潜んでいた狂気が表面化することがある。

でもそれは誰もに表れるわけじゃない。

過去世のどこかで、やったやられたってものを持っている人同士が、磁石のS極とN極が引き付け合うようにして起っている現象だといえるんだよ。

通り魔による殺傷沙汰なんてのは、この世だけを見れば「なんで?どうして?」ってことだらけでしょ。

人間誰もの潜在意識に潜む狂気が、ほんの一部の人の行動にしか表れ出ないでいるわけは、その狂気となる想念の質量と、真理にかなった想念言行の質量のバランスや睡眠中の浄めによる意識浄化の進行程度によるんだけど、表れるか表れないかの違いについては……、そうだねぇ……、現象化する元の波動をコップの水に例えて説明すると、判りやすいかも知れないね。(次回に続く)