Voice of brothers 220 霊的観点から観た男女がともに生きることの真の意義 (5/7)

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(前回の続き)

★みずからのパートナーシップを一対の関係性から一体の関係性へ進化させるために

その点、女性のほうは、条件が整ってさえいれば、肉体としても新たな人類をその身に宿し形成して、産み育てるという実体験をできる分、みずからに内在するすべての産みの親である宇宙創造心を自覚しやすいといえる。

ここで注意して欲しいのは、奥さんが子どもを産めない体であったり、ご主人の精子に異常があって子どもに恵まれないご家庭が、人としてあるべき役割を果たしていないとは言い切れないということだよ。

ここは大事なとこだから、なんでも紋切り型に「こうでなければならない」なんて思わないでね。

お子さんに恵まれないご夫婦は、子どもを産み育てる分の余力を人類社会のために奉仕し、地球世界の完成のためにそれぞれがその心身を捧げ働くことによって、個々の天命をまっとうするという、大切なミッションがあるんだよ。

男女が夫婦になって子どもができないからといって、その夫婦が不完全な夫婦だなんてことはまったくないのだから、その点は勘違いをしないようにね。

人間それぞれの役割というのは、個々に観てゆけばまったく一律ではないんだ。

大きなくくりで観れば、これこれだって言い方はできるけど、個別に観てゆけば人のあり方、生き方というのは、実際には人の数だけあるんだよ。

だから、このような話を聞いたときに、ぼくらが話す大きなくくりだけで自分たちをジャッジしないで、みずからのミッションは自分のいのちの光に聞くんだよ。

その答えというのは、常に第一直観として顕れてくるものだから、ふだんから「ああでもない、こうでもない」って考えあぐね、悩みに悩む過去の想念習慣を抜け出して、パッと一瞬にして第一直観をキャッチできる心境を養ってね。

それで、最初のほうでも話したけど、夫婦が一対のあり方から一体のあり方へと、関係性を進化させるということを、もう少し角度を変えて話そう。

ここでいう”一対”とは、まだ完全調和に至っていない姿をいい、”一体”とは、互いの違いを溶かしめることによって、互いの長所短所や得手不得手などがうまい具合にブレンドされて、愛し合う男女それぞれの人間性の角が取れて円熟味を増し、より調和した人間へと進化してゆくことをいうんだよ。

人間性が深まれば、表面上を良くしようと画策しなくても、内からにじみ出る魂の力によって、人生などは力強く切り開いてゆくことができるようになるもんなんだよ。

また、他人任せや神頼みに走らなくても、自分たちの力で「こうありたい」と思う運命を創りあげてゆくことができるんだ。

これまで多くの地球の人たちがやってきたことは、自分たちの関係性を調和させる努力を放棄しながら、また無視しながら、表面上の人生を良くしようというあり方だった。

それは、スポーツなんかでいえば、基本を身に付ける努力を怠りながら、そのスポーツがうまくなろうとするようなことで、そんな人がうまくなれるわけがないのはわかりきったことでしょ。

それとおんなじような過ちを、多くの夫婦がやってきたというのが、これまでの夫婦関係の大勢だったんだよ。

だけどこれからは、世界中のあらゆる夫婦が自分たちの関係性を調和させることに注力してゆくようになる。

それは、真理に目覚めたがためにそうなる場合もあるし、天変地異や戦争やテロなんかで互いの存在の尊さに気が付いて、これまで以上にお互いを大事に思い、思いやりあって生きてゆくことによって、陰陽の調和がはかられてゆくというような側面もあるんだよ。(次回に続く)