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Voice of brothers 70 魂における幼少期を卒業するための集中講義(2)

(前回の続き)

★求める想いの奥にある与える意識を開発するために

勘のいいきみは、ここらでどうやら閃いたでしょ。

そう、人間が他の生物と違うことは、表れとしての自分の奥に、表している自分がいることなんだ。

だから人は、愛を求めると同時に、愛を与える側でもあるんだよ。

でも地上では、ほとんどの人がこの与える側の意識を忘れ果ててしまったために、体が成長して大人になっても精神の芯(魂)が幼児おさなごのままだから、多くの人が他にしてもらうことを望んでばかりで、みずからが自他にしてあげることをしないでいながら不平不満ばかりを思って生きてる人の多い世界になってしまったんだよ。

ここでぼくらがいう、“してあげる”ってことは、愛を施すとか、許容するとか、包容するってことで、自他を愛し認める心の働きだよ。

この働きを野に咲く植物と自然界のあり方に例えたら、認める意識・愛の働きこそが大地であり、地中の養分でもあり、大気でもあり、水分でもあり、太陽光線でもあり、花粉を運んでくれる風や虫たちでもあるんだよ。

人の愛というのは本来、この自然界万般に表された愛にも勝るとも劣らないもので、すべての人を活かし、自然界のあらゆるものや生きとし生けるものすべてをも最大限に生かす、至高最大のエネルギーなんだよ。

人は、ううん、人にかぎらず万物は天地の愛によって生成化育されて、産まれたものが自意識の強弱にかかわらず成育して、存在を維持し、天命を果たし終えたら霊なる次元へ帰ってゆく仕組みになっているんだ。

だから魂の幼少時代にあって、人が「愛されたい」とか「認められたい」って想うこと(認証欲・承認欲求)は、必ずしもそれそのものが悪いわけではないんだよ。

それでさっき、その想いを発する出発点とその想いが向かうべき角度・方向が違ってるから、認められたいのに認められない結果につながっているって話したけれど、人間が意識進化を志向するうえで、その向上心に勢いがつくかつかないか、みずからの意志で自身に自信をよみがえらせて、自神の意識に帰ってゆけるかどうかが、この「認められたい」という想いを発する出発点とその想いが向かうべき角度・方向を正しいものにするか否かにかかっているといえるんだよ。

今日はこの理をしっかりとつかんで、満たされない不足感や欠乏感の泥沼から抜け出て、満たされる側の自分と満たす側の自分を同時認識する意識の用い方をマスターしてもらいたいと思って、いろいろと言葉を尽くして話しているんだよ。(次回に続く)