(前回の続き)
★全地球人類に神域の視座がよみがえる日のために
例えばひとつのコンサートを成功させるためには、観客の知らない何百人ものスタッフが縁の力持ちとして、コンサートの開催前から開催後までかかわって働いているでしょ。
規模によっては、千人規模のスタッフが会場の設営に携わって、前後何日も掛けて準備や後片づけに従事してるよね。
みんながコンサートを楽しんでる間も、係の人がみんなの安全を細心の注意を払って見守っているし、外部ではガードマンが守ってる。
チケットを手に入れてコンサートにやって来たひとりひとりの心の中をのぞいてみると、そういう人たちの地道な影の働きによって、ひとつのステージが成立しているって事実を、顧みない観客がほとんどだけれど、裏方さんたちの尽力によってステージが成立しているってことは、誰がなんと言おうとも、まぎれもないれっきとした事実でしょ。
それとおんなじように、きみたちの存在とその働きってのは、地球界のアセンションを成立させるための大切なピースで、誰ひとり欠けてもその運行に支障をきたすほど、きみたちひとりひとりは重要な働きをしているんだよ。
それは今言った、ひとつのコンサートを成功させるため働く裏方さんのようなものなんだよ。
きみたちはそのように、地球界の完成という宇宙的一大イベントを、お客さんとしてではなく、運営側のスタッフとして支える人たちなんだよ。
その役割は、目立つこともなく、観客(まだ意識進化に興味をいだかない人たち)から感謝されることも少なく、やりがいがないって思うかも知れない。
けれどもきみたちの魂は、持って生まれたその天命を果たすことが、何にも勝る最高の喜びで、自分たちはそのために今この時代を選んで生まれて来たんだってことをよーく知っている。
それできみたちは、何をさておいても意識進化したい、神性復活しなければって思って、自分自身を磨き高めあげることを至上命題として生きているんだ。
神域の視座を身に修める生き方というのは、そのように裏方さんとして働くために必須のものであり、それがとりもなおさず、きみたち自身に無限なる健康と豊かさをもたらして、永遠の幸福を確立させることにもなるんだよ。
きみたちはもう、自分の身の安全とか、生活を守ることとかの自己保身に粉骨砕身して奔走しなくていいし、自己中心的思考で右往左往したり、右顧左眄したりする必要なんかもまったくない。
思うことが他人の幸せばかり、生きとし生けるものと大自然の大調和した豊かさばかりしかないきみたちには、御身の安寧なんか願わなくても、すべての存在によって自然に調えられて、きみたちの人生が豊かなものになるよう、運命上に表れてくるからね。
最後に一言付け加えるなら、いろんなテクニックに走ることは、近道のように感じたとしても、結局遠回りになることを覚えておいてほしい。
だから、深い呼吸を常時の呼吸として、全体の調和を祈りながら生きることが、何にもまして重要な意識進化の鍵であると信じて、何ごと何ものにも動じない不動心をものにしてね。
神域の視座は、そうした心に自ずと宿る神眼であるのだからね。(終わり)