Voice of brothers 122 祈り方について(前編)

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★祈りと念力の違いと祈り方のコツ

今日はみんなの祈りを観ていて、一言伝えたくて連絡した。

どういうことかというと、祈りと念力を混同してしまってるケースが見受けられるということだよ。

祈りというのを、自分に都合いい状態を引き寄せるものだと思っている場合には、念の力で現実を欲するイメージに変更しようとしてるんだね。

そしてそれは、自己保存的動物感情が人間だと信じてる、ごく一般の人間たちがそれぞれの立場で、ふつうに思い描いていることでもある。

それらの念がそれぞれに強くなるとどういうことが起こるかというと、表れの不調和と同時に、心の世界にも対立軸が先鋭化して、表面上のいがみ合いにプラスして、心の戦争が勃発することになるんだよ。

で、心の戦争が激しくなると現れの世界の不和も、さらに収拾がつきがたい状況になるという悪循環に陥るのね。

だから、祈りの結果を個々がそれぞれめいめいに、自分勝手にイメージするもんじゃないんだよ。

それじゃあ世間にはびこる底の浅い、願望成就念力メソッドとおんなじ土俵に立ってしまうからね。

よくあるでしょ。

「あなたの願望を叶える方法」とか、「幸せを引き寄せるセミナー」とか。

みんながみんな、自己に都合のよい状態を現実化しようとしたら、どうなると思う?

対立状態がなくなりっこないことは、火を見るよりも明らかでしょ。

だから、祈りと念力はまったく異質なものなんだってことを、世界の平和を願い祈る人は、ハッキリと認識しなきゃいけないんだよ。

それで祈り方のコツというのはどういうものかというと、祈った結果を具体的にイメージしながら行うようなものじゃあないんだ。

祈りの言葉というのは本来、真理・大調和・大完成の方向性を指し示す言霊を持った言葉、例えば、“平和”とか“調和”とか“神聖復活”などの言葉をちりばめて、それらの状況が“天に在る(実在する)ごとく、地にも成る(映し出される)ことを願うように”発するべきものなんだよ。

だから、祈った結果としての現実がどのような状況になったとしても、個我想念が結果に対してたとえ何を思ったとしても、すべては最善の方向へ運ばれていることを絶対的に認識しなければならないし、そうすべきというよりは、最善に至るプロセスしか体験していないことを、自然のうちに当たり前のように感じている意識でいることがいいんだよ。(次回に続く)