Voice of brothers 217 霊的観点から観た男女がともに生きることの真の意義 (2/7)

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(前回の続き)

★男女の関係性は組み合わせの数だけある

ところでさっき、一つの両性具有の魂が二つの魂に分かれたって単純に話したけど、実際にはもう少し複雑になってて、肉体界ではすべての人に、魂の片割れである異性が三人は用意されているんだよ。

現代の人たちは自由の意味をはき違えてる人が多いから、恋愛においても自由恋愛だとかなんとか言っちゃって、見境もなく異性にアプローチして、またをそれを受け容れて、乱れた恋愛でもって魂をけがしてしまってる人が多いね。

人間は本来、魂の片割れである異性と出逢う希望を心からいだいて生きれば、他の異性に対して色目を使って見る(想いを投げかける・食指を動かす)想いなど浮かばなくなるんだよ。

だけど地上の人間たちを見ると、そうじゃないことが多い。

男性でも女性でも、隙あらば他の異性と交流して、自己の性欲や支配欲や征服欲、孤独感などを満たそうと画策する輩がたくさんいるでしょ。

このことは大変に嘆かわしいことなんだけれど、それも地球人類が進化するプロセスの一時的様相だからしょうがない。

それで、そのような境涯にありながらも、もしも意識進化を志向して、アセンションを望む人があるならば、まずはみずからの神性を開発する想念言行の実行に努めることだよ。

なぜなら、真のパートナーである魂の片割れの異性と出逢うためには、意識が神域に入り込んでいることが、必要最低要件に設定されているからね。

それで宇宙の一部の世界では、ある一時期、両性具有体の肉体人類が実験的に創られたことがあったんだけど、今ではそれはやってないからここではその話は掘り下げない。

なぜなら、知ったところで真のパートナーシップの参考にはならないからね。

参考にならないと言いながら、どうしてこのことに触れたかというと、現在の地球上で性同一性障害だとか、異性を愛せない人だとかがいて、その人たちのルーツがそこにあることを示唆するためだ。

それと、いのちが本来は一つの個性のなかに両性を具有しているということと、それを無意識的に渇望するカルマが絡み合っている側面があることも関係してくる。

今は時が到らないから、これ以上は詳しく説明しないけどね。

それで話を元に戻すと、肉体界における男女のパートナーシップのあり方としては、子を授かる家庭もあれば、二人だけで生きてく家庭もあれば、一つ屋根の下で暮らす家庭や、離ればなれに暮らす家庭など、いろいろなパターンがあるね。

また夫婦と一口に言っても、その関係性はカップリングされた組み合わせの数だけあるし、そこに子どもまで組み入れて見れば、そのあり方というのは、まさにピンからキリまである。

だから、「絶対にこうあらねばならない」というモデルケースの存在しない形態……、それがファミリー(家庭・家族・一家)というものなんだよ。(次回に続く)