★宗教心とは
今日は本当の宗教心というのがどういうもので、それがアセンションとどう関係あるのかについて話そう。
世の中にはたくさんの宗教組織があって、そこに関わって生きている人も、そうじゃない人も、忌み嫌って生きている人もいるね。
だけど本当に大切なことを多くの人が見失ってるんだよ。
宗教組織側も見失ってるし、信者たちも見失ってるし、はたの第三者の人たちも見失ってるんだ。
それは、「宗教心とは何か?」というそもそも論だよ。
それで、ここで一つ紐解いておきたいことは、「そもそも宗教とはなんなのか?」ということだ。
これがわかれば宗教団体に関わっていない人でも、みずからの力で意識進化を推進することはそんなに難しいことじゃなくなるんだよ。
いいかい。
宗教という言葉は、宗の教えと書くでしょ。
宗というのは、大元・中心ということで、いのちの本来性とその運用について教えるのが、本当の宗教なんだよ。
それで、生命の大元・中心に連なったいのちの本来性を自覚して、それを正しく運用している人のことを、宗教心のある人と言うんだ。
そういう意味では、本当に宗教の体を為している宗教団体は地球上にほとんどない。
信者獲得に血道を上げていたり、権力やお金ばかり大切にして大衆の苦悩には目もくれなかったり、宗教に名を借りた経済活動に邁進するのみだったりの低次元団体化した組織や人間がほとんどだからね。
本当の宗教心を持った宗教家と呼べる人は、御簾の奥で安楽椅子にふんぞり返って偉そうに座っていられるものではないし、贅沢な暮らしをする気になんかならないんだよ。
また、本当に宗教心を持った宗教家というのは、苦しんでる人たちと苦楽を共にするだけの捨て身の覚悟を持っているし、相手が困っているというのにその人たちから多額の金品を巻き上げて贅沢三昧なんか出来ないんだ。
★宗教家の条件
だから、偉そうにふんぞり返ってたり、自分たちだけが豪華ななりや生活をして恥じないような人なんかは、宗教家を名乗っていたとしても、実はその資格もない(意識が欲得にまみれている)ような人たちなんだよ。
また、何人信者を導いたら偉い立場になるなんて欲得を刺激するシステムを真に受けて、人をだましてでも拉致してでも数に加えるようなことをしてる宗教信者たちも、宗教心のかけらも磨き出せてないという意味では、先の教祖たちと同類項だよ。
本当の宗教者(宗教を生業としてはいないが宗教心を持った生き方をする人を含む)というのは、生命の事実を伝える者であり、人間の真実(神性)を伝える者であり、人として在るべき生き方を伝える者であり、世の中に光明の波動を振りまく者であり、それらを体現している人でなければならない。
世の中で名の知られた宗教団体の教義なんてのは、そのほとんどが7割から9割の真理(しかも他人の受け売り)に、3割から1割の嘘(人類を意識進化させず迷わせたままにしておく非真理や原典を改竄改謬して後世の宗教権威者が都合よく振る舞える教義等)を巧妙に混ぜ込んで、救いを標榜しながらも、実は信者たちを路頭に迷わせているのがほとんどなんだよ。
だから宗教団体(法人化していない疑似宗教も含む)を見るときには、1厘の嘘もない100%の真理を伝えているかどうかを見るといいんだ。
それがさっきの5大条件だよ。
それらの条件に合致しない生き方をしてるような宗教は「こちらから願い下げだ」って一般大衆が思えるようになれば、宗教団体なんてのは必要なくなって、衰退の末に消滅してゆくんだけど、そうなる前に、本当の真理を伝える数少ない宗教は、これからますます混沌とする世界のなかで、その真価を発揮して働くことになるだろう。
それで、人々の意識進化が進展しつつある今では、きみたちのように神性意識を表面化して生きる人々は、肩書き上の権威者たちをも凌駕するほどの宗教心を、すでにその心身に修めているんだよ。(次回に続く)