★きみは起きて(生きて)いるか?
みんな、起きて生活している間は、「自分は今、起きている(生きている)」と思っているでしょ。
それは、意識があることをみずからが自覚した状態なんだけど、それが本当に起きているか、生きているのかというと、これは生命の真実から観れば、いのちを活かして生きていない人は、起きているとはいえないし、生きているともいえない。
そういう状態を正確に表現するなら、「いのちを眠らせながら生きている」「いのちを抹殺して生きている」ということで、本当は生きているとはいえない状態なんだよ。
意識がカルマの波に呑み込まれて、生命本源の神性を表すことなく、自己都合で右往左往に右顧左眄したり、自己中心的発想で自他を貶めるような見方に終始していたり、自然環境や生物たちのことなんかちっとも考えずに、人間の欲望のためだけに利用する心境なんかは、これはもうね……。
言うならば、生きながらにして死んでいる魑魅魍魎で、自我欲望の亡者が跋扈している姿なんだよ。
きみたちも昔は彼らと同類の生き方をしていたけれど、見事に意識進化を果たして、生命の本質の側から世界を見つめる人になった。
だから、そういう人類全般の表面的な姿だけを観て、短絡的に「人間は不完全な者だ」とか、「地球がよくなることはあり得ない」だなんて、けっして思わないでね。
言葉はエネルギーだからね。
★神性人類としての本当の第一歩を踏みしめるために
大切なことは、永遠を見通す神眼の意識視野で以て、生命の経綸を俯瞰することだ。
それは、哲学の分野にもなるんだけど、
- 人間とはそもそもなんなのか?
命とはなんなのか? - そもそもこの大宇宙を創ったのは誰なのか?
- 広大な大宇宙に数えきれないほどの星々を創り、それらすべてに人類とその他数多くの生物たちを創り、生かしめているその力は、いったいなんなのか?
- 人は何処から、なんのためにこの世へ生まれて来るのか?
- 人はなんのために生きるのか?
- 人は死ねば何処へ行くのか?
などの問いを自分に向けて、命の奥からその答えを直観としてキャッチすることだよ。
いのちを活かして生きるんだ。
そのためには、今言った問いに対する答えを、自分なりに持って生きることだよ。
それは必ずしも、みんながみんな同じ答えであるとはかぎらない。
違っていいんだ。
自分の答えを他人に押しつけなくてもいいし、逆に、他から強制されるものでもない。
いのちの奥へ奥へと、意識進化が進めば進むほど、やがてみんな、ひとつの大真理、究極の真実に辿り着くものだからね。
それは遠い将来の話ではなくって、きみたちが今の肉体を持って、地球界に生きている間のことだよ。
だから、楽しみにして自分磨きをつづけてね。
今まで心を曇らせていた、小さなこだわりや思い込みなんかが、音を立てて崩壊するときが来る。
そのとき、きみたちは、永遠の未来を手にすることになるだろう。
究極の真実を生きる神性宇宙人類としての、第一歩を踏みしめながらね。