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Voice of brothers 339 祖霊がたと肉体心(前編)

★先祖あってこその命

お盆の時期だからというわけじゃあないけど、今日はきみたちの先祖や過去世にあたる祖霊がたと、きみたちとの関係性についての話をしようね。

きみも知ってのとおり、先祖があるからこそ、今のきみたちがあるのでしょ。

もしも先祖がいなかったらきみたちはなく、今の地球に人類も残ってないことになるけれど、実際にはそうじゃないもんね。

きみたちが今そこに生きてるということは、先祖がたの血を脈々と受け継いでいるということでしょ。

きみたちのなかには、数え切れないたくさんの先祖の血が連綿と流れていて、それらの情報がすべて遺伝子に刻み込まれているんだよ。

その内の一部が、きみたち自身の過去世の一コマでもあるんだ。

だから死後の世界の存在を認めていない人でも、宗教心がないと自認してるような人でも、日常の忙しさに流された心の奥から、時折ポッカリと先祖に感謝する想いが湧き出てくるなんてことは、人として極めて自然な心の発露で、なんにもおかしなことじゃあないんだよ。

こんな話をすると、線香くさいとか辛気くさいとか言って嫌がる人が時々いるけど、それは”死”へのイメージが古びた習慣性の考えにとどまってることに起因してるんだよ。

多くの人にとっての”死”が、本当は輝かしい旅立ちであり、肉体の生を全うした暁の”完全なる自由への飛翔”である事実がわかれば、人は生きることにもっともっと真剣になれて、真理に真向かう想いも湧いて来ようもんなんだけど、現実には、習慣性の想念をなかなか脱ぎ捨てられないでいるから、古びた想念習慣の渦のなかでおんなじところをグルグルグルグル廻るにとどまっている。

★血中に流れている先祖の経験知と経験値

ところで、さっき「血」と表現した”ち”という言葉は、「知」であり「値」でもあるんだよ。

きみたちの心のなかには、先祖がたの経験知と経験値が結集してるんだ。

それが証拠に、ある日突然すごい絵を描き始めたり、いきなりピアノが弾けるようになったり、突如として人間離れした知能や運動能力を発揮するような人がいるでしょ。

そういう人は、遺伝子の中にある経験知や経験値がONになって表面化したからこそ、今回の人生で未経験だったり門外漢だったりするようなことに、いきなり力を発揮するようなことになってるんだよ。

逆に、自分の過去世を含む先祖方のやり残した魂の宿題が血の中に流れていて、時と場所と人の縁に触れて表面化してくることもある。

たとえば、自分の思い通りにならないことに対して周囲に当たり散らすカルマを潜在的に持ってる人は、何ごともなく平凡な日々を過ごしているうちは、そんな性質はおくびにも出さないで澄ましてられるけど、時と場所と人の縁が惑星直列のように一致したときには、暴言や暴力はもちろんのこと、殺傷沙汰に至るほどの感情想念の暴発に我を忘れてしまうようなこともある。

そんな突発的なことじゃなくても、普段はいい人なんだけど、お酒を飲んだら人が変わって周囲に迷惑をかけ続けているような人はそこかしこにいるでしょ。

きみたちが自分たちの代で意識進化を果たすということは、そうした祖先や自身の過去世が残した宿題を全部片付けて、綺麗な魂を発露することになるんだよ。

人が本来の綺麗な魂を発露するとどうなるかというと、神性意識が表面化して、意識進化が果たされるということなんだ。(次回に続く)