★人格者とは
きみは少年の頃から青年期にかけて、時々は欲望に流されて自分を見失いかけそうになりながらも、「人格がすぐれた人になりたい。どうしたらなれるのかわからないけれど、そのような大人になりたい、立派な人になりたい」と念願して、手探りで日々を過ごしていたね。
そこで今日は、人格というものの本質というか、あるべき姿について話そうね。
本当にすぐれた人格者っていうのは、神格に裏打ちされた格式をもった人のことをいうんだよ。
そういう場合の人格ってのは、“いのちの大元”から発しているから、裏も表もありゃしない。
そのままの裸の心が神性だから、自分をよく見せようとてらうこともなければ、卑屈になってねじれた想いにもだえることもない。
そういう人は、いつでも白日の下に正々堂々としていられるから、いのちのままの自然体な心でいることができて、それがとりもなおさず、世界に光をもたらすことになっているんだね。
人は、肉体に張り付いた肉格や、幽体に張り付いた幽格に意識をとどめて、それでよしとしてるんじゃあお話にならないよ。
霊体に根ざした霊格レベル止まりでもまだ足りない。
みんなの意識が、神域の光明体の真我、いのちの光そのものの神格が現れた人格にならなければ、置かれた環境、ひいては星の天地に、大調和した平和世界の様相を画き出すことができないんだ。
★さらなる意識昇華へ至るために
だから、アセンションした意識でさらなる魂の昇華を目指すのなら、肉体や幽体や霊体に意識をとどめて自己肯定しているかぎり、神域の意識が表面化することはないんだってことや、表面想念を否定し尽くした処にこそ、真実の自己肯定があるんだってことを、いつも忘れないで肝に銘じて覚えててほしい。
そのことに気づいて偽りなくその境地に至るためには、やっぱり真実の内観が有効だね。
そして真実の内観を成就するには、真の指導者が必要なんだよ。
それは別に、誰か他の人に求めるものではない。
最高の導き手がきみ自身のなかに初めからいるからね。
そう、誰もの心のなかに眠らせてきた“内なる神性”の外面的サポートを主導する守護霊心と一体化して、常に守護霊心の導きにそって歩む心を大切にすることがいいんだよ。
誰にでもできるそのための簡単な方法は、一日中何をしていても、守護霊への感謝の想いを根底にして過ごすことだね。
まして座って行う内観時なら、なおさら守護霊のサポートに感謝して行うことがいい。
それは、あたかも目の前や背後なんかに守護霊が立っていて、自分の心が邪念にさらわれないように、導いてくれていることを常にイメージして、守護霊の指導の下に瞑想している気持ちを忘れないことだね。
そのときに肉体側の姿勢として心がけるといいイメージの仕方は、天の彼方から頭頂部のチャクラに《いのちの光の太い柱》が降りてきて、それが背筋を貫いて、一番下のチャクラ付近にある尾てい骨を貫通して、地球の中心にまで届いていることを想い描いて行うといいんだよ。
そうすると、自然に背筋がシャンと伸びて、肩の無駄な力が抜けて、顎を少し引いた、背筋に光の柱がとおった正しい姿勢になるんだよ。
意識が主ではあるんだけれど、体の姿勢を正すことで、正しい心の姿勢が保たれることにもなる。
たとえば“手”というのは、手のひらだけで成り立つものじゃなく、裏に手の甲があるでしょ。
逆に、手の甲だけが手なんじゃなくて、手のひらと甲の側を合わせて、表裏一体になってこその“手”でしょ。
心と体もまったくそれと同じ理で、心に偏って体を無視することはできないし、体ばかり思って心のあり方をないがしろにするのもバランスが悪い。
内観をする目的は、いのちの大元との一体化を果たすことと同時に、心と体を統一して、渾然一体としたいのちのきらめきを現象化して、物質界の生活に活かすことでもあるんだよ。
だから内観するときに心がけるといいことは、《いのちの光》と表面想念の一体化と、体と心の一体化を同時に果たすことを目指すことだよ。
その二つが縦横十字に調和したとき、内観の意義が果たされて、生活上の想念・言葉・行為に、巧まずして神性の想念言動を表せるようになるんだよ。
この世的な知識や世渡り術で武装して、他人を押しのけてでも人の上に立とうとするような人が、実際の立場的にも人々のリーダーであった時代は、もうすでに終わりかけているんだよ。
★世界を変える力をもつために
そんなことぼくが言わなくても、その世界の響きの中にいるきみたちのほうが、旧い価値観の通用しない世界へ移行しつつあることは、充分に感じ取っているとは思う。
けれども、感じているだけじゃあ世界を変える力にはならない。
新しい時代の息吹をキャッチした人たちが立ち上がって、新時代の生き方を人々に示して、草木ボウボウで道なき道になっていた生命の大道を、誰もがとおれる道に仕立て上げなければ、世界のあり方はいつまで経っても変わらない。
未来を切り開くには、どの星のどんな次元世界でも、開拓者が必要なんだよ。
それがきみたち、意識進化を志向する人たちなんだ。
きみたちは今は、この世的な権力も、特別な肩書きもないかも知れない。
人は肩書きや権力に弱く、強いものになびくものだから、誰もきみたちのことを見向きもしないかも知れない。
けれどもそんなの全然関係ない。
新しい価値観の世界では、人格・霊格・神格こそが、社会の序列を形成するうえで、ゆるがすことのできない基準になるのだからね。
なんかのマンガのように、おでこに“肉”の文字が付いたり、その他の人格を示す文字が付くような事態にでもなれば、誰でもぼくたちの言ってることの意味がよくわかってもらえると思うんだけど、実際の世界はそんなマンガチックには進まない。
世界の変化は法則上の流れのうえで、地球人間的時間観念ではゆっくりに思えるかも知れないけれど、粛々と確実に進行しているんだよ。
そして、みんなが気がつく頃には、もう後戻りできないくらいに完全に世界が変わっていて、否が応にもその世界のルールに則って過ごさなければならなくなるんだ。
だけど、そうした世界に過ごすことを望まない人は、いやいや過ごす必要もなくって、自分が望む波動圏の世界で過ごすことができるようにもなる。
その話については、明日また話そうね。