★幸せになるために
幸せになるための根本原理は、元々誰もが調和して幸せだったのに、それを忘れた個我想念でもって、「幸せじゃない」と独り決めして悪あがきしてしまってた現状に気が付いて、意識を発する角度と深度(次元)を変えることだよ。
究極の話をすれば、すべてのいのちが元々大調和の波動圏にあった事実を思い出しさえすれば、ただそれだけのことで、人は誰もが本来性の神性意識に立ち帰ることが出来るんだ。
「そう言われたって今が不幸せなのに、そんなことできるはずないじゃないか」って思うかい?
もしそう思う人がいたとしたら、今話してることもこれから話そうとしていることも、何を話してるんだかちんぷんかんぷんかも知れないから、ものすごくかみ砕いて話してこうね。
『元々幸せなのに、幸せじゃないと思っていた』というのはどういうことかというと、自分の意識視野(想念習慣)が未熟だったために、幸せが初めから一人一人に標準装備されていた事実に気がつけないでいたってことなんだよ。
今が幸せじゃないと本気で思っている人は、目をつむりながら生きているようなもので、「自分のまぶたは元々開かないものなんだ」って思い込んでしまって、目を閉じたままで今日まで生きてきたといえる。
生命の真実というのは本来、無限なる幸福と喜びのなかにあって、すべてが調和した完全無欠なものなんだ。
途中経過をはしょって説明すれば、すべての地球人類はその完全性のなかから究極の二元性の世界に降り来たって、今いる次元階層の世界に生命本来の完全性を顕現しようとしている存在なんだよ。
崩れることのない真実の幸せをシッカリとつかむためには、その事実を直視して認めることが重要なんだよ。
そうしてみて初めて、不幸を感じない道を踏み出し始めることが出来るんだよ。
なのに多くの人がそんなことがあるとも思わずに、「幸せじゃない、だから幸せになりたい」と願っている。
その意識視野の状態というのは、見えているのに見ていない状態とおんなじなんだ。
それは、失せ物を探すのが苦手な人の意識視野に似ているね。
そのようにみずからのあり方を客観的に認めることは、甘えたエゴの立場からすれば認めがたく、荒療治に思えるかも知れないけれど、今が幸せじゃないと思い込んでいる人は、親に愛されてるのに「自分は愛されていない」と独り決めして勝手にすねてる子どもみたいなもんだから、意識を成長させる以外に本当の幸せを思い出す術は無いから、「エイッ」って心の足を前へ一歩踏み出す勇気を持つことが大切だよ。