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(前回の続き)
★願い通りにはならないけれど思い通りにはなっている現実を軌道修正するために
今の世の中を見たときに、肉体に張り付いて生きている人たちは、「こんな事態になればいいだなんて、つゆほども願ったことはない」と一様に口を揃えて言うだろう。
けれども、無意識的には、不安や恐怖の想いとか、不信や敵対心の想いなんかを、誰かや何かに向けて発しつづけながら生きては来たのでしょ。
それは思っていること、思っていたことなんだよ。
というのはどういうことかというと、肉体にペッタリ張り付いた意識の持ち主たちにとって、『この世というのは、願い通りにはならないけれど、思い通りにはなっている世界』だといえるんだ。
自分がこれまで生きてきた時間を冷静に見つめて、常日頃の無意識的に過ごしてた時間に脳裏をよぎっていた想いの数々を思い出してごらん。
何が気にくわないとか、誰が嫌いだとか、これは面白くないとか、なんであいつはどうなんだとか、なんだとかかんだとか、不平不満や怒りや妬みや恨みやマウンティングの想いなんかを、光明の想念とまぜこぜにして、だだ漏れに垂れ流して過ごしてきたでしょ。
それらの想いこそが、個人の望まぬ未来を形成していると同時に、人類や地球全体の暗い未来をつくり出す原動力になって、実際にそれを現実化してきたんだよ。
大地震(大きな地殻変動)が起こるのも、火山爆発や尋常じゃない暴風雨雪が人間生活を脅かすのも、すべては人間たちの想念言行が大自然をそのように動かしてることなんだ。
誰がどう思おうと、結果的にはそういうことになっている。
その事実を真摯かつ謙虚に見つめなければならないんだよ。
それが証拠に、すでにすべての人類が意識進化を果たし終えて神性文明の世界になってる星々の天地には、暴風雨も大地震もなく、火山の爆発が人類の生活を呑み込むようなことも起こらないで、人類間の不調和な様相なども何処にも見当たらない大調和した時空間のなかに生きてるんだよ。
それは、大自然と調和して生きているからということでもあるし、その星の人類意識が調和してるから、汚れを流し落とす必要がない(天変地異が起こる理由がない)からなんだよ。
★どんな状況のなかにあっても神性意識で世界を見つめよう
最初の話に戻ると、すべての人間生命の根底にある神性を認めて、大宇宙を調和裡に運行している法則や真理を生き方のベースに置いて、毎瞬毎瞬、いのちの光(無限の創造性)を活用して生きてることは、旧約聖書にあるノアの方舟に乗って生きていることになるんだよ。
過去の肉体生命観や人間観、世界観などを、いつまでも金科玉条のごとく大事にして、旧態依然とした常識にしがみ付いている人は、みずからが思った通りの"願ってもいない現実"を次から次へとつくり出しては、自分の運命のみならず、地球全体の運命にも悪しき影響を及ぼしているんだ。
それできみたちのように、意識がノアの方舟に乗った(神域に入った)人たちは、何が起こっても心が痛みも傷付きもしない立場から世界に手を差し伸べて、一人でも多くの人を引き上げてほしい。
今、「何が起こっても心が痛みも傷付きもしない立場から」と言ったけど、過去世からの因縁をクリア出来ていない場合には、自分の肉体が傷付いたり、生活環境が破壊されるようなことは起こり得るんだよ。
大切なことは、心が痛んだり傷付いたりしなければ、どんな状況のなかからでも、何度でも立ち上がり、這い上がって、肉体の健常性を取り戻したり、生活環境を建て直したりすることは出来るということだよ。
不幸な状態を体験するのは、過去世から積み重ねてきたカルマの咲き散ってゆく姿なのだから、それは咲き散るに任せていればいい。
そこで引っかかって、不平不満や不足の念を発してしまうから悪い運命が繰り返されてきたのであって、ネガティブな側面に把われ執着せずに(掴まずに)、前向きな想いを今この瞬間に発しつづけてゆけば、未来の運命は光明の方向へ転換してゆくものなんだよ。
もちろん、過去世から蓄積してきた想念行為が平均してネガティブなものではない場合には、すぐ近くの近所がものすごい被害にあっても、自分の家だけは少しの被害で済むとか、まったくなんの悪影響も受けない人たちも実際にいる。
だけど、被害を受けるか受けないかで人を計るのも少しく違う。
それよりも大事なことは、どんな状況のなかにあっても、神性に根ざした前向きな想いを発しつづけて、それを言動行為に現すことだ。
これから何年かかるかわからない、この嵐の時期をしのぎさえすれば、穏やかな完全調和の世界がやってくるんだよ。
そのためにも、徹底して今このときを神域の意識で見つめ、「すべては収まるとこに収まって、必ずすべてがよくなるんだ」って、希望の想いをいだきつづけるんだよ。
そうしていさえすれば、住む家がなくなって野原で寝るようなことになっても逞しく生きてゆけるし、食べるものが流通しなくなって食うに食われぬ事態になっても、少量の水さえあれば何ヶ月も健康な状態を維持することだって出来るんだよ。
今言った話の詳細に関しては、今後のなかで必要性がなければ伝えないけど、もしも必要性の高まることがあったなら、いつかの機会に話すことにしよう。
誰にでも出来ることだからね。(終わり)